街とその不確かな壁

村上春樹



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 ぼくらはそれほどひんぱんに手紙をやりとりしていたわけではない。だいたい二週間に一度くらいのものだ。しかしひとつひとつはかなり長文の手紙になった。そして総じて言えば、きみの書く手紙はぼくの書く手紙よりいくぶん長かったように思う。もちろん手紙の長さがぼくらのやりとりにおいて、とくに大きな意味合いを持っていたわけではないが。

 きみが書いた手紙は一通残らず今でも手元にとってあるが、ぼくの書いた手紙の方はいちいち写しなんてとらなかったから、どんなことを自分が手紙に書いたのか、具体的な内容はよく思い出せない。でもそんなに大したことは書かれていないはずだ。主に日々の生活や、身のまわりで起こった小さな出来事について書き記した。読んだ本や聴いた音楽、観た映画についても書いた。学校であった出来事についても書いた。ぼくは水泳部に入っていたので(やむを得ない事情でそこに入っただけだし、熱心な選手とはとても言えなかったが)、その練習のことなんかも書いたと思う。彼女が相手だと、何によらず自然に文章を書くことができた。自分の考えていること感じていることを、不思議なくらい思い通りに語れた。そんな風によどみなく文章が書けたのは、生まれて初めてのことだ。前にも言ったように、ぼくはそれまで自分は文章を書くのが不得意だと思っていたのだ。きっときみが、ぼくのそういう能力を奥の方からうまく引き出してくれたのだろう。きみはぼくの文章に含まれたちょっとしたユーモアをいつも喜んでくれた。それがわたしの生活にたぶんいちばん不足しているものなのよ、ときみは言った。

「ビタミンなんとかみたいに?」とぼくは言った。

「そう。ビタミンなんとかみたいに」ときみは強く肯いて言った。


 ぼくはきみに夢中になっていたし、目覚めているときはだいたい常にきみのことを考えていたと思う。またおそらく夢の中でも。でも手紙の中ではそんな思いを正面切って打ち明けたりしないよう、できるだけ自分を抑制していた。そして可能な限り、実際的で具体的なものごとについてのみ書こうと心を決めていた。当時のぼくは自分の手で実際に触れることのできる世界にしがみついていたかったのだろう──できればいくぶんのユーモアをそこに込めつつ。なぜなら愛やら恋みたいな、言うなれば内面的な心の動きについて正面切って書き始めると、自分がどんどん袋小路に追い込まれていきそうな気がしたからだ。


 きみの手紙には、ぼくの場合とは逆に、身のまわりの具体的なものごとよりは、内面的な思いのようなものが多く書き記されていた。あるいは見た夢とか、ちょっとした短いフィクションとか。とりわけいくつかの夢の話がぼくの印象に深く残っている。きみは頻繁に長い夢を見たし、その細部までを鮮明に思い出すことができた。まるで実際にあった出来事を思い出すみたいに。そういうのはぼくには信じがたいことだった。ぼく自身はほとんど夢を見ないし、見たとしても中身がまず思い出せない。朝、目を覚ましたとたんに、それらの夢はすべてばらばらにほどけてどこかに吸い込まれてしまう。鮮やかな夢を見て夜中にはっと目を覚ますことがあっても(めったにないが)、すぐそのまま眠り込んでしまい、翌朝目覚めたときには何ひとつ覚えていない。

 ぼくがそう言うと、きみは言った。

「わたしの場合、枕元にノートと鉛筆を置いて、目が覚めるとすぐにその夜に見た夢を記録するの。忙しくて、時間に追われていてもね。とくにありありとした夢を見て真夜中に目を覚ましたような場合は、どれほど眠くてもその場でできるだけ詳しく内容を書き付けておく。そういうのは大事な夢であることが多いし、多くの大切なことを教えてくれるから」

「多くの大切なこと?」とぼくは尋ねる。

「わたしの知らないわたしについてのこと」ときみは答える。

 夢はきみにとっては、現実世界で実際に起こる事象とほとんど同じレベルにあり、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではなかった。夢はきみに多くのことを伝えてくれる、貴重な心の水源のようなものだった。

「そういうのは訓練のたまものなの。あなたも努力すれば、きっと見た夢を細かいところまで思い出せるようになるはずよ。だから試してみて。あなたがどんな夢を見ているのか、とても知りたいから」

 いいよ、やってみよう、とぼくは言った。

 でも、それなりに努力はしたのだが(枕元にノートと鉛筆を置くことまではしなかったにせよ)、どうしても自分の見る夢に興味が抱けなかった。ぼくの見る夢はあまりに散漫で一貫性を持たず、おおむね理解しがたいものだった。そこで語られる言葉は不鮮明で、目にする情景に筋らしきものはほとんど見当たらなかった。また時には、人にはとても話せないような不穏な内容を持つものだった。そんなものに関わるよりは、きみの見た長くカラフルな夢の話に耳を澄ませていたかった。

 時折、きみの夢の中にぼくが登場することがあった。ぼくはそれを聞いてとても嬉しく思う。どんなかたちであれ、きみの内側にある想像の世界に参加することができたのだから。そしてきみもまた、ぼくが自分の夢に現れたことを喜んでくれているみたいだった。おおかたの場合、きみの夢の中のぼくはそれほど重要な意味を持たない、ドラマの脇役のような役割しか受け持っていなかったのだけれど。

 きみは、ぼくの前では口にしにくいようなあからさまな夢を──ぼくがしばしば見てしまうような(時には心ならずも下着を汚してしまうような)夢を──見ることはないのだろうか? きみは自分の見た夢をすべて正直に語っているのだろうか? それはきみの夢の話を聞きながら、ぼくがいつも考えてしまうことだった。

 きみはいろんなことを包み隠さず率直に語っているように見える。でも本当のところは誰にもわからない。ぼくは思うのだが、この世界に心に秘密を抱かないものはいない。それは、人がこの世界を生き延びていくためには必要なことなのだ。

 そうじゃないのだろうか?

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