その夏のあいだずっと(ぼくが十七歳、きみが十六歳の夏だ)、顔を合わせるときみは熱心にその街の話をした。素晴らしい夏だった。ぼくはきみに恋をしており、きみはぼくに恋をしていた(と思う)。ぼくらは会うと手を握り合い、人目につかないところで唇を重ねた。そして額を寄せ合うようにして、その街について飽きることなく語り合った。
街は高さ八メートルほどの頑丈な壁に囲まれている。遥か昔からそこにある壁だが、特別に硬質な煉瓦で念入りにつくられ、煉瓦は今に至るまでひとつとして欠けていない。一本の川が緩く蛇行しながら
壁の北側に門がひとつある。かつては東側の壁にも同じような門がついていたのだが、それは今では塗り込められ、堅く塞がれている。北の門──現在の唯一の街の出入り口──は一人の屈強な門衛によって護られている。門は朝と夕方に一度ずつ、獣たちを通過させるために開かれる。鋭い単角を持つ寡黙な黄金色の獣たちは、朝に整然とした列を作って街の中に入ってきて、夜は壁の外の居留地で身を寄せ合って眠る。彼らは伝説の中の獣たちであり、この街の周辺でしか生存できない。街中に生育する特殊な木の実や木の葉しか口にしないからだ。見た目には美しいが、
壁の内に住む人々は壁の外に出ることができないし、壁の外にいる人々は壁の内に入れない。それが原則だ。街に入る人は影を
街の人口は明らかにされていないが──あるいは誰もそんなことは知りたがらないのかもしれないが──その数は決して多くない。住民の大半は街の北東部、干上がった運河沿いにある「職工地区」か、西の丘のなだらかな斜面にある「官舎地区」に集まって暮らしている。「官舎地区」に住む人が「職工地区」に足を運ぶことはまずないし、その逆もない。
その街の成り立ちについて、ぼくにはもちろん数多くの疑問があった。
「そこには電気は通じているの?」とぼくは尋ねる。
「いいえ、電気はない」ときみは答える。ためらいもなく。「電気もガスもない。人々はなたね油を使ってランプを灯し、調理をするの。ストーブは薪ストーブ」
「水道は?」
「西の丘の泉から管を使って新鮮な水を引いている。蛇口を捻れば飲み水が出てくる。井戸もたくさんあるし、それに加えて美しい川も流れている。だからどんな日照りの夏にも、街が水に不自由することはないの。古い時代に造られた上水道と下水道もそのまま残っていて、水洗のトイレも使える」
「食料品は?」
「ほとんどの食料品は自給自足でまかなえる。それに街に住む人々はとても少食なの。与えられた環境に順応して、あまり多くを食べなくて済む身体になっているから」
「進化したんだね」とぼくは言う。
「たぶん」ときみは言う。
「ものを製作する人はいるのかな」
「食器や道具や衣服を専門に作る人はいないけれど、だいたいみんな手作りで間に合わせている。必要に応じて道具の交換があり、貸し借りがある。また昔からあるものを修繕しながら大事に使っている。この街には残されているものがたくさんあるの。街を出て行った人たちが、持ちきれずに残していったものがね。どうしても必要とされるものは、ときおり外の世界から運ばれてくる。簡単な物々交換のようなことが、きっとどこかで行われているのでしょう」
「なたね油が大事な燃料になっているんだね?」
「ええ、それが不足することはない。なたね畑はたくさんあるし、油は豊富に簡単に採れる。そして人々は節約しながら、工夫してつましく暮らしている」
「街には役所みたいなものは存在するんだろうか? いろんな方針を定めたり、人々に役割を与えたりする機関が」
「それほどの規模の街ではないから、たぶん必要に応じて、人々のあいだで話し合いがあり、簡単なルールが決められるのでしょう。でもそのへんのことはよくわからない。わたしがその街にいたのは、ほんの小さな子供の頃だから」
「街には単角を持つ美しい獣のほかに、何か動物はいるのかな? たとえば犬とか猫とか、牛とか馬とか」
きみは首を振る。「そんなものを見かけたことは一度もない。街には、単角獣のほかにはたぶんどんな動物もいないと思う。犬も猫も家畜も(従ってそこにはバターも牛乳もチーズも畜肉もない。代用品は別にして)。もちろん鳥は別よ。鳥はどれほど高い壁も自由に越えて行き来するから」
「単角獣は影を持っているの?」
「ええ、獣たちは影を持っている。ほかのどんなものにも影はある。影を持たないのは人間だけ」
「そしてきみじゃないきみは──ほんもののきみは──今もその壁の中の街で暮らしているんだね」
「ええ、ほんもののわたしはそこで暮らしている。前にも言ったように、そこの図書館に職を得ている」
ぼくはきみの語る街のあり方や仕組みや、そこにある様々な光景を、専用のノートにひとつひとつ書き留めていく。ぼくはそのようにして、壁に囲まれた街について数多くの知識を得て、街の存在をより確かなものとして受け入れるようになる。
「そんなに多くのことを書き留めて、どうするの?」ときみは不思議そうに尋ねる。きみにとっては、それはいちいち記録したりする必要のないものごとなのだ。
「忘れないようにするためだよ。すべてを文章にして正確に記録しておくんだ。間違いがないように。だってこの街は、ぼくときみが二人だけで共有しているものだからね」
その街に行けば、ぼくは本物のきみを手に入れることができるだろう。そこできみはたぶんすべてをぼくに与えてくれるだろう。ぼくはその街できみを手に入れ、それ以上は何も求めないだろう。そこではきみの心ときみの身体はひとつになり、なたね油のランプの仄かな明かりの下で、ぼくはそんなきみをしっかり抱きしめることだろう。それがぼくの求めていることだった。
秋になってきみからの手紙が途絶える。新しい学期が始まり、九月の半ばにきみの最後の手紙が届いて、そのあとはもう一通の手紙も送られてこない。ぼくはいつもどおりきみに宛ててほぼ定期的に長い手紙を書くが、返答はない。どうしてだろう? きみの言うところの「心がこわばる」時期が長く続いて、手紙を書くどころではないのだろうか?
「あなたのものになりたい」ときみは公園のベンチで言った。「何もかもぜんぶ、あなたのものになりたいと思う」
その言葉はそれ以来、ぼくの頭の中に鳴り響いている。それが噓や誇張やいっときの気まぐれではないことがぼくにはわかる。きみが何かを口にしたなら、それはきみが心からそう思っているということだ。特別なインクを使って特別な紙に書かれた間違いのない約束なのだ。
だからぼくはそれほど心配はしない。待つことが大事なのだ。ぼくはきみからの手紙を待ちわびながら、きみ宛ての手紙を普段のペースで書き続ける。日常生活の中でぼくの身に起こったことや、頭にふと浮かんだことを文章にして書き送る。壁に囲まれた街についての新しい疑問も付け加える。いつもの便箋に、いつもの万年筆といつものインクで。でもきみからの便りが一ヶ月を超えて途絶えたとき、思い切ってきみの家に電話をかけてみることにする。それまできみに電話をかけたことはない。家に電話をかけてもらいたくない、という意味のことを言われていたからだ。遠回しに、しかしぼくがちゃんと呑み込めるように。何らかの事情があり(どんな事情かは知らないが)、ぼくがきみの家に電話をかけるのは好ましいことではないらしい。でもこれ以上、きみの手紙を黙って待ち続けることはできない。
六度電話をかけてみたが、誰も出なかった。ぼくの心臓の鼓動に合わせて、呼び出し音が空しく鳴り続けるだけだ。家には誰もいないのかもしれない。七度目に電話したとき(それは夜の九時半過ぎだった)、男が電話に出て、不機嫌そうな低い声で「もしもし」と言った。中年の男の声だ。ぼくが自分の名前を告げ、夜分申し訳ないがきみと話がしたいのだと言うと、相手は何も言わずに電話を切った。鼻先でドアをばたんと閉めるみたいに。
そのようにして十月が過ぎ去り、ぼくは十八歳になり、十一月がやってくる。秋が深まり、高校生活は終わりに近づいている。ぼくはますます不安になる。きみの身辺に何かが持ち上がったのだろうか? そしてきみは煙のように宙に消え失せてしまったのだろうか? それともひょっとして、ぼくのことなんてすっかり忘れてしまったのだろうか?
いや、きみがぼくを簡単に忘れたりするはずはない。ぼくがきみを忘れたりすることがないのと同じように──自分に何度もそう言い聞かせる。自分を納得させようとする。でも女性というものについて、その心理や生理について、ぼくがどれほどの知識を持っているというのか? いや、そんな一般論じゃなくて、きみについていったい何をぼくが知っているというのか?
考えてみれば、ぼくはきみについて何ひとつ知らないも同然なのだ。きみについて「これは間違いない」と断言できる客観的な事実、具体的な情報、そういうものをほとんど手にしていない。ぼくが手にしているのは、きみ自身の口から聞かされたいくつかのきみに関する情報だけだ。でもそれだって、きみが事実であるとして語っているだけで、本当の事実なのかどうか、確認しようもない。すべて架空の作りごとだったということになるかもしれない。可能性としては──あくまで可能性としてはだが──あり得ないことではない。
きみに関して間違いなく確かなもの、触知可能なものといえば、きみが一夏かけて語ってくれた「壁に囲まれた街」くらいだ。ぼくはその街についての情報を一冊のノートに詳細に記録した。それはぼくら二人だけが存在を知る秘密の街だ。そこに行けば、ぼくはきみに出会うことができる──本物のきみに。きみからの手紙を待ち焦がれている日々、つらい気持ちになると、ぼくはよく目を閉じて川の中州の光景を想像し、そこに繁る川柳を思ったものだ。その豊かな緑の枝は、風を受けて優しく揺れていた。そして単角の獣たちが熱心に食べている
秋は過ぎ去り、季節は冬へと移っていった。カレンダーが最後のページとなり、人々はコートを身に
「わたしは、いろんなことにたくさん時間がかかるの」ときみは言った。ぼくはその言葉を、まじないの文句のように頭の中で何度も反復する。そして時間が通り過ぎていく様子を、辛抱強く見守っていた。しょっちゅう腕時計を眺め、一日に何度も壁のカレンダーに目をやり、ときには歴史年表まで開いてみた。時間はひどくのろのろと、それでも決して後戻りすることなくぼくの中を通過していった。一分間にちょうど一分ずつ、一時間にちょうど一時間ずつ。時間はゆっくりとしか進まないが、後戻りはしない。それがその時期にぼくが身をもって学んだことだった。当たり前のことだが、ときには当たり前のことが何より重要な意味を持つ。
そしてある日、とうとうきみからの手紙が届く。分厚い封筒、長文の手紙だ。