秋、獣たちの体は、来たるべき寒い季節に備えて輝かしい金色の毛に
それは美しい季節だった。
壁に沿って設けられた望楼に立ち、夕暮れの
角笛の音が街に響き渡るとき、獣たちは太古の記憶に向かって首を上げる。あるものは葉を嚙むのをやめ、あるものは蹄をこつこつと舗道に打ち付けるのをやめ、あるものは最後の日だまりの中の午睡から目覚め、それぞれに同じ角度に首をもたげる。
すべては一瞬、彫像のように固定される。動くものといえば、風にそよぐ彼らの柔らかな金色の体毛、それだけだ。それにしても彼らはいったい何を見ているのだろう? ひとつの方向に首を曲げ、宙を見据えたまま、獣たちは微動だにしない。そうして角笛の響きに耳を澄ませる。
角笛の最後の響きが空中に吸い込まれて消えたとき、彼らは前脚を揃えるようにして立ち上がり、あるいは伸びをして姿勢を整え、ほとんど時を同じくして歩み始める。いっときの呪縛は解かれ、それからしばらく街の通りは、獣たちの踏みならす蹄の音に支配される。
獣たちの列は曲がりくねった石畳の通りを進んでいく。誰が先頭に立つというのでもなく、誰が隊列を導くというのでもない。獣たちは目を伏せ、肩を小刻みに左右に揺らしながら、沈黙の川を下っていくだけだ。それでも一頭一頭のあいだには、打ち消しがたい緻密な絆が結び合わされているように見える。
何度か眺めているうちに、獣たちの
街を囲む壁には門がひとつしかない。それを開け閉めするのは、門衛の役目だ。厚い鉄の板が縦横に打ち付けられた、重く頑丈そうな門だ。しかし門衛は軽々と押して開け閉めする。彼以外の人間が門に手を触れることは許されていない。
門衛はいかにも頑健な、しかし己れの仕事にはきわめて忠実な大男だ。先の尖った頭はきれいに剃られ、顔もつるりとしている。毎朝大きな鍋に湯を沸かし、大きな鋭い
夕暮れに獣たちを残らず壁の外に出してしまうと、彼はもう一度重い門を押して閉め、最後に大きな錠前をおろす。かしゃりという乾いた冷ややかな音を立てて。
北の門の外には獣たちのための場所がある。獣たちはそこで眠り、交尾し、子供を産む。森や茂みがあり、小さな川も流れている。そしてその場所もやはり壁で囲まれている。高さ一メートルを少し超える程度の低い壁だが、獣たちはなぜかその壁を越えることができない。あるいは越えようとはしない。
門の両側の壁には、六つの望楼が設けられている。古い木製のらせん階段で、誰でもそこに上がることができる。望楼からは獣たちの
しかし春の初めの一週間だけ、獣たちが激しく争う姿を見るために人々は進んで壁の望楼に上るということだ。獣たちはその時期、普段の姿からは想像もつかぬほど荒々しくなり、
その交尾期の一週間だけ、獣たちは街の中には入ってこない。街の人々に危険が及ばないように、門衛が門を閉ざしてしまうからだ(従ってその期間は朝夕の角笛も吹き鳴らされない)。少なからざる数の獣たちが争いの中で深手を負い、中には命を落とすものも出る。そして地面に流された赤い血の中から、新しい秩序と新しい生命が生まれる。柳の緑の枝が春先に一斉に芽吹くのと同じように。
獣たちは我々にはうかがい知ることのできない独自のサイクルと秩序の中に生きている。すべては規則正しく反復され、秩序は彼ら自身の血で
でも私は自分の目で、実際にそのような光景を目撃したわけではない。きみからその話を聞いただけだ。
秋の獣たちはそれぞれの場所にしゃがみ込んだまま、金色の毛並みを夕日に輝かせ、角笛の響きが宙に吸い込まれていくのを無言のうちに待ち続ける。その数はおそらく千をくだるまい。
そのように街の一日が終わる。日々が過ぎ去り、季節は移る。しかし日々や季節はあくまで