街とその不確かな壁

村上春樹



3



 秋、獣たちの体は、来たるべき寒い季節に備えて輝かしい金色の毛におおわれる。額に生えた単角は鋭く白い。彼らは冷ややかな川の水でひづめを洗い、首をそっと伸ばして赤い木の実をむさぼり、金雀児えにしだの葉を嚙む。

 それは美しい季節だった。

 壁に沿って設けられた望楼に立ち、夕暮れのつのぶえを私は待つ。太陽が沈む少し前の時刻に、角笛は長く一度、短く三度吹き鳴らされる。それが決まりだ。柔らかな角笛の音が、暮れなずむ石畳の通りを滑り抜けていく。角笛の響きはおそらく数百年のあいだ(あるいはもっと長い歳月かもしれない)変わることなく繰り返されてきたのだろう。家々の石壁の隙間にも、広場の垣根に沿って並んだ石像にも、その音色は深くみ込んでいる。

 角笛の音が街に響き渡るとき、獣たちは太古の記憶に向かって首を上げる。あるものは葉を嚙むのをやめ、あるものは蹄をこつこつと舗道に打ち付けるのをやめ、あるものは最後の日だまりの中の午睡から目覚め、それぞれに同じ角度に首をもたげる。

 すべては一瞬、彫像のように固定される。動くものといえば、風にそよぐ彼らの柔らかな金色の体毛、それだけだ。それにしても彼らはいったい何を見ているのだろう? ひとつの方向に首を曲げ、宙を見据えたまま、獣たちは微動だにしない。そうして角笛の響きに耳を澄ませる。

 角笛の最後の響きが空中に吸い込まれて消えたとき、彼らは前脚を揃えるようにして立ち上がり、あるいは伸びをして姿勢を整え、ほとんど時を同じくして歩み始める。いっときの呪縛は解かれ、それからしばらく街の通りは、獣たちの踏みならす蹄の音に支配される。

 獣たちの列は曲がりくねった石畳の通りを進んでいく。誰が先頭に立つというのでもなく、誰が隊列を導くというのでもない。獣たちは目を伏せ、肩を小刻みに左右に揺らしながら、沈黙の川を下っていくだけだ。それでも一頭一頭のあいだには、打ち消しがたい緻密な絆が結び合わされているように見える。

 何度か眺めているうちに、獣たちの辿たどる道筋や速度が厳密に定められているらしいことがわかる。彼らは仲間をあちこちで群れに加えながらなだらかなアーチ型の旧橋を渡り、鋭い尖塔のある広場まで歩く(そこにある時計台の時計は、きみが言ったとおり、針が二本とも失われている)。そこで川の中州に下りて緑の草をんでいた少数の集団を加える。川沿いの道を上流に向けて進み、北にのびる涸れた運河づたいに工場街を抜け、森で木の実を探していた一群を拾い上げる。それから方向を西に変え、鋳物工場の屋根付きの渡り廊下をくぐり、北の丘づたいに長い階段を上る。

 街を囲む壁には門がひとつしかない。それを開け閉めするのは、門衛の役目だ。厚い鉄の板が縦横に打ち付けられた、重く頑丈そうな門だ。しかし門衛は軽々と押して開け閉めする。彼以外の人間が門に手を触れることは許されていない。

 門衛はいかにも頑健な、しかし己れの仕事にはきわめて忠実な大男だ。先の尖った頭はきれいに剃られ、顔もつるりとしている。毎朝大きな鍋に湯を沸かし、大きな鋭いかみそりを使って丹念に頭を剃り、顔を剃る。年齢は見当もつかない。朝と夕に、獣を集める角笛を吹き鳴らすのも彼の職務のひとつだ。門衛小屋の前にある二メートルばかりの高さのやぐらに上り、空に向けて角笛を吹き鳴らす。この無骨な、ほとんど野卑な見かけの男のいったいどこから、そのように柔らかくつややかな音が生まれ出るのだろう? 角笛の音を耳にするたびに私は不思議に思う。

 夕暮れに獣たちを残らず壁の外に出してしまうと、彼はもう一度重い門を押して閉め、最後に大きな錠前をおろす。かしゃりという乾いた冷ややかな音を立てて。


 北の門の外には獣たちのための場所がある。獣たちはそこで眠り、交尾し、子供を産む。森や茂みがあり、小さな川も流れている。そしてその場所もやはり壁で囲まれている。高さ一メートルを少し超える程度の低い壁だが、獣たちはなぜかその壁を越えることができない。あるいは越えようとはしない。

 門の両側の壁には、六つの望楼が設けられている。古い木製のらせん階段で、誰でもそこに上がることができる。望楼からは獣たちのすみが一望できる。でも普段は誰もそんなところには上らない。街の住民たちは獣たちの暮らしにはまるで関心を抱いていないらしい。

 しかし春の初めの一週間だけ、獣たちが激しく争う姿を見るために人々は進んで壁の望楼に上るということだ。獣たちはその時期、普段の姿からは想像もつかぬほど荒々しくなり、おすたちはめすを巡って、餌を食べることも忘れ、死力を尽くして闘う。うなり声を上げながら、先の鋭い単角を競争相手ののどや腹に突き立てようとする。

 その交尾期の一週間だけ、獣たちは街の中には入ってこない。街の人々に危険が及ばないように、門衛が門を閉ざしてしまうからだ(従ってその期間は朝夕の角笛も吹き鳴らされない)。少なからざる数の獣たちが争いの中で深手を負い、中には命を落とすものも出る。そして地面に流された赤い血の中から、新しい秩序と新しい生命が生まれる。柳の緑の枝が春先に一斉に芽吹くのと同じように。

 獣たちは我々にはうかがい知ることのできない独自のサイクルと秩序の中に生きている。すべては規則正しく反復され、秩序は彼ら自身の血であがなわれる。その荒々しい一週間が過ぎ去り、柔らかな四月の雨が流された血を洗い落とす頃、獣たちは再びもとのせいひつで温和な存在へと戻っていく。

 でも私は自分の目で、実際にそのような光景を目撃したわけではない。きみからその話を聞いただけだ。

 秋の獣たちはそれぞれの場所にしゃがみ込んだまま、金色の毛並みを夕日に輝かせ、角笛の響きが宙に吸い込まれていくのを無言のうちに待ち続ける。その数はおそらく千をくだるまい。

 そのように街の一日が終わる。日々が過ぎ去り、季節は移る。しかし日々や季節はあくまでかりめのものだ。街の本来の時間は別のところにある。

Table of contents

previous page start next page