街とその不確かな壁

村上春樹



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 ぼくもきみも、互いの家を訪問したりしない。相手の家族と顔を合わせることもないし、それぞれの友だちを紹介しあうこともない。ぼくらは要するに誰にも──この世界中のいかなる人にも──邪魔をされたくないのだ。ぼくときみは、二人で時を過ごしているだけで十分満ち足りているし、他の何かを付け加えたいとは思わない。また、ただ物理的な観点から見ても、何かを付け加えるような余地はそこにはない。前にも述べたように、ぼくらの間には語り合うべきことが山ほどあるし、二人で一緒にいられる時間は限られているからだ。

 きみは自分の家族のことをほとんど語らない。ぼくがきみの家族について知っているのは、いくつかの細切れの事実だけだ。父親は地方公務員だったが、きみが十一歳のときに何か不手際があって辞職を余儀なくされ、今は予備校の事務員をしているということだ。どんな「不手際」だったかは知らない。でもどうやら、きみがその内容を口にしたくないような類いの出来事であったようだ。実の母親は、きみが三歳の時に内臓の癌で亡くなった。だから記憶はほとんどない。顔も思い出せない。きみが五歳のときに父親は再婚し、翌年妹が生まれた。だから今の母親はきみにとって継母にあたるわけだが、父親に対してよりはその母親の方に「まだ少しは親しみが持てるかもしれない」という意味のことを、きみは一度だけ口にしたことがある。本のページの隅に小さな活字で記された、さりげない注釈みたいに。六歳年下の妹については、「妹には猫の毛アレルギーがあるので、うちでは猫が飼えない」という以上の情報は得られなかった。

 きみが子供の頃、心から自然に親しみを抱くことができたのは、母方の祖母だけだ。きみは機会があれば一人で電車に乗って、隣の区にあるその祖母の家を訪れる。学校が休みの時期には、何日か泊めてもらうこともある。祖母は無条件にきみを可愛がってくれる。乏しい収入の中から細々したものを買い与えてもくれる。しかし祖母に会いに行くたびに、義母の顔に不服そうな表情が浮かぶのを目にして、何かを言われたわけではないのだが、次第に祖母の家から足が遠のくようになる。その祖母も数年前に心臓病できゅうせいしてしまった。

 きみはそんな事情を細切れにぽつぽつと話してくれる。古いコートのポケットからぼろぼろになった何かを、少しずつすくい出すみたいに。

 もうひとつ今でもよく覚えていること──きみはぼくに家族の話をするとき、なぜかいつも自分の手のひらをじっと見つめていた。まるで話の筋を辿るためには、そこにある手相(か何か)を丹念に読み解くことが必要不可欠であるかのように。

 ぼくの方はといえば、自分の家族についてきみに語るべきことなど、ほとんど見当たらなかった。両親はごくありきたりの普通の親だ。父親は製薬会社に勤めており、母親は専業主婦。ありきたりの普通の親のように行動し、ありきたりの普通の親のように語る。年老いた黒猫を一匹飼っている。学校での生活についても、とりたてて語るべきことはない。成績はそれほど悪くはないが、人目を引くほど優秀なわけでもない。学校でいちばん落ち着ける場所は図書室だ。そこで一人で本を読んで空想のうちに時間を潰すのが好きだ。読みたい本のおおかたは学校の図書室で読んでしまった。


 きみと初めて出会ったときのことはよく覚えている。場所は「高校生エッセイ・コンクール」の表彰式の会場だった。五位までの入賞者がそこに呼ばれた。ぼくときみは三位と四位で、座っていた席が隣同士だった。季節は秋で、ぼくはそのとき高校二年生、きみはまだ一年生だった。式は退屈なしろものだったので、ぼくらはその合間に小さな声で少しずつ短く話をした。きみは制服の紺のブレザーコートを着て、揃いの紺のプリーツスカートをはいていた。リボンのついた白いブラウス、白いソックスに黒のスリップオン・シューズ。ソックスはあくまで白く、靴はしみひとつなくきれいに磨かれていた。親切なこびとたちが七人がかりで、夜明け前に丁寧に磨いてくれたみたいに。

 ぼくは文章を書くのがべつに得意なわけではない。本を読むのは小さな頃から大好きで、暇さえあれば本を手に取ってきたが、自分で文章を書く才能は持ち合わせていないと思っていた。でもクラスの全員が、コンクールのために国語の授業中に強制的にエッセイを書かされ、その中からぼくの書いたものが選ばれて選考委員会に送られ、最終選考に残り、そして思いもよらず上位入賞してしまったのだ。正直言って自分の書いた文章のどこがそれほど優れているのか理解できなかった。読み返してみても、取り柄のない平凡な作文としか思えない。でもまあ何人かの審査員がそれを読んで、賞をやってもよいと思ったからには、何かしら見どころはあったのだろう。担任の女性教師はぼくが賞を取ったことをとても喜んでくれた。生まれてこの方、教師がぼくのおこなった何かに対してそれほど好意的になってくれたことは一度もなかった。だから余計なことは言わず、ありがたく賞をもらうことにした。

 エッセイ・コンクールは、地区合同で毎年秋に行われ、年ごとに異なったテーマが与えられるのだが、そのときのテーマは「わたしの友だち」というものだった。ぼくは四百字詰め原稿用紙五枚を用いて語りたいような「友だち」を、残念ながら一人として思いつけなかったので、うちで飼っている猫について書いた。ぼくとその年老いた雌猫がどんな風につきあい、生活を共にし、お互いの気持ちを──もちろんそこには限度はあるものの──伝え合っているかについて。その猫に関しては語るべきことが数多くあった。とても利口で個性的な猫だったから。おそらく審査員の中に猫好きの人が何人かいたのだろう。おおかたの猫好きの人は、他の猫好きの人に対して自然に好意や共感を抱くものだから。

 きみは母方の祖母について書いた。一人の孤独な老年の女性と、一人の孤独な少女の心の交流について。そこにつくり出されたささやかな、偽りのない価値観について。チャーミングな、心を打つエッセイだ。ぼくの書いたものなんかより数倍優れている。どうしてぼくの書いたものが三位で、きみのが四位なのか理解できない。ぼくはきみに正直にそう言う。きみはにっこり微笑んで、わたしは逆に、あなたの書いたものの方が、わたしの書いたものより数倍優れていると思うと言う。本当よ、噓じゃなくて、ときみは付け加える。

「あなたのおうちの猫って、とても素敵な猫みたいね」

「うん、すごく利口な猫なんだ」とぼくは言う。

 きみは微笑む。

「きみは猫を飼っている?」とぼくは尋ねる。

 きみは首を振る。「妹が猫の毛アレルギーなの」

 それがきみについてぼくが得た、最初のささやかな個人情報だった。彼女の妹は猫の毛アレルギーなのだ

 きみはとても美しい少女だ。少なくともぼくの目にはそう映る。小柄で、どちらかといえば丸顔で、手の指がほっそりしてきれいだ。髪は短く、切り揃えられた黒い前髪が額にかかっている。丁寧に吟味された陰影みたいに。鼻はまっすぐで小さく、目がとても大きい。一般的な顔立ちの基準からすれば、鼻と目の均衡がとれていないということになるかもしれないが、ぼくは何故かその不揃いなところに心を惹かれる。淡いピンク色の唇は小さく薄く、いつも律儀に閉じられている。大事な秘密をいくつか奥に隠し持つみたいに。

 ぼくら五人の入賞者は順番に壇上に上がり、表彰状と記念メダルをうやうやしく授与される。優勝した長身の女の子が短い受賞の挨拶をする。副賞は万年筆だった(万年筆のメーカーがコンクールのスポンサーになっていたのだ。その万年筆をぼくは以来、長年にわたって愛用することになった)。その長々しく退屈な表彰式が終了する少し前に、ぼくは手帳のメモ部分に自分の住所と名前をボールペンで書き付け、ページを破ってこっそりきみに手渡す。

「もしよかったら、ぼくにいつか手紙を書いてくれないかな」とぼくは乾いた声できみに言う。

 ぼくは普段そんな大胆なことはしない。もともと人見知りする性格なのだ(そしてもちろん臆病でもある)。でもきみとそこで別れわかれになって、もう二度と会えないかもしれないと考えると、それは大きく間違ったこと、まったく公正ではないことのように感じられる。だから勇気をかき集め、思い切った行動に出る。

 きみは少し驚いた表情でその紙片を受け取り、きれいに四つに折り畳み、ブレザーコートの胸ポケットに仕舞う。なだらかで神秘的なカーブを描く胸の膨らみの上に。そして前髪に手をやり、少しだけ頰を赤らめる。

「きみの書いた文章をもっと読みたいんだ」とぼくは言う。間違った部屋のドアを開けてしまった人が、へたな言い訳をするみたいに。

「わたしも、あなたの書いた手紙をぜひ読みたい」、そして何度か小さく肯く。ぼくを励ますように。


 きみの手紙は一週間後にぼくのもとに届く。素敵な手紙だ。ぼくはそれを少なくとも二十回くらい読み直す。そして机に向かい、副賞としてもらったばかりの新しい万年筆を使って、長い返事を書く。そのようにしてぼくらは文通を始め、二人だけの交際を始める。

 ぼくらは恋人同士だったのだろうか? 簡単にそんな風に呼んでしまっていいものか? ぼくにはわからない。でもぼくときみは少なくともその時期、一年近くの間、混じりけなく心をひとつに結び合わせていた。そしてぼくらはやがて二人だけの、特別な秘密の世界を起ち上げ、分かち合うようになった──高い壁に囲まれた不思議な街を。

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