街とその不確かな壁

村上春樹



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 そう、その世界では人はみんな影を連れて生きていた。ぼくも「きみ」も自分の影をひとつずつ持っていた。

 ぼくはきみの影のことをよく覚えている。ひとのない初夏の路上できみがぼくの影を踏み、ぼくがきみの影を踏んだことを覚えている。子供の頃によくやった影踏み遊びだ。どんなきっかけがあったのか、ぼくらはいつしかその遊びを始めていた。二人の影は初夏の路上ではとても黒く、濃密で生き生きとしていた。足で踏まれたら本当にその部分に痛みを感じてしまうくらい。もちろんただの罪のない遊びに過ぎなかったけれど、そこでぼくらは真剣にお互いの影を踏み合った。それがすごく大事な結果をもたらす行為であるかのように。

 そのあとぼくらは堤防の陰になったところに並んで腰を下ろし、初めてキスをした。どちらが誘ったわけでもない。前もって予定していたわけでもない。明確な決意みたいなのがあったわけでもない。それはどこまでも自然な成り行きだった。二人の唇はそこで重ねられなくてはならなかったし、ぼくらはそういう心の流れにただ従っただけだ。きみはまぶたを閉じ、ぼくらの舌先は微かに遠慮がちに触れあった。そのあとしばらく、二人の口から言葉がうまく出てこなかったことを覚えている。ぼくもきみも、もしなにか間違った言葉を口にしたら、お互いの唇に残った大切な感触が失われてしまうような気がしたのだと思う。だから長いあいだぼくらは沈黙を守っていた。そしてしばらくあとで、二人はまったく同時に何かを言おうとして、二つの言葉がぶつかり混じり合った。ぼくらは笑って、それからまた少し唇を重ねた。


 ぼくはきみのハンカチーフを一枚持っている。白いガーゼのような柔らかな生地でできたシンプルなもので、端っこにひとつ鈴蘭の花が小さく刺繡してある。それは何かの折にきみがぼくに貸してくれたものだ。洗濯して返さなくちゃと思いながら、返しそびれてしまった。というか、ぼくは半ば意図的にそれを返さなかった(もちろん返してくれと言われたら、忘れていたふりをしてすぐに返していただろうけれど)。ぼくはよくそのハンカチーフを取り出し、生地の感触を長いあいだ静かに手のひらに味わっていたものだ。その感触はそのまままっすぐきみに結びついていた。ぼくは目を閉じ、きみの身体に腕を回して唇を重ねたときの記憶に浸った。きみがぼくの近くにいてくれたときにも、どこかに消えてしまったあとでも、常に変わることなく。


 きみのくれた手紙の中に書かれていたある夢のことを(正確にはその夢の一部を、というべきだろう)、ぼくはよく覚えている。横書きの便箋八枚に及ぶ長い手紙だった。きみの手紙はエッセイ・コンクールの副賞としてもらった万年筆を用いて書かれていた。インクの色は常にターコイズ・ブルー。ぼくらはどちらも、そのときの賞品の万年筆を使って手紙を書いた。それは暗黙の申し合わせのようなものだった。その万年筆は──それほど高級な万年筆でもなかったのだが──ぼくらにとっての大切な記念品であり、宝物であり、二人を結ぶ絆だった。ぼくが使っていたインクは黒だ。きみの髪の色と同じ漆黒。トゥルー・ブラック。

「ゆうべ見た夢の話を書きます。この夢にはあなたが少しだけ出てきました」ときみは手紙を書き出していた。



 ゆうべ見た夢の話を書きます。

 この夢にはあなたが少しだけ出てきました。たいして重要な役じゃなくて申し訳ないんだけど、でも夢だからそれはしかたないことよね。だって夢はわたしのつくるものではなくて、どこかの誰かから突然「ほら」と与えられたものであり、わたしの一存で内容を自由に変更できるものではないのだから(たぶん)。そしてどんな劇でも映画でも、脇役って大事なものですよね。脇役しだいでその劇や映画の印象はずいぶん違ってしまう。だからたとえ主役じゃなくても、そこはまあ我慢して、アカデミー助演男優賞みたいなのを目指してね。

 それはともかく、目が覚めてからわたしはちょっとどきどき[鉛筆であとから濃い下線がぐいと付け加えられていた]してしまいました。だって現実に戻ってからもしばらくは、すぐとなりにあなたがいるような気がしてならなかったから。本当にいたらちょっと面白かったんだけど……というのはもちろん冗談です。

 わたしはいつものように、その夢の内容をすぐさま、枕元に置いたノートにちびた鉛筆でちくいち(漢字がわからない)書き記しました。それがいつも、目が覚めて最初にわたしがおこなう行為なのです。朝であろうが真夜中であろうが、寝ぼけていようがなにかで急いでいようが、さっき見たばかりの夢の中身を、思い出せる限りこと細かにノートに記録してしまうこと。わたしはこれまで日記というものを習慣的につけたことはないけれど(何度か試みたけど、いつも一週間も続かなかった)、夢の記録だけは一日も欠かさず残しています。日記はつけないけど、夢の記録だけは怠りなくつけているなんていうと、まるでわたしにとって、実際の日々の暮らしより、夢の中での出来事の方が重要な意味を持っているとほとんど公言しているみたいですね。

 でも実際には、そんなこと思っているわけではありません。言うまでもなく実際の日々の暮らしと、夢の中での出来事はぜんぜんなりたちが違うものです。地下鉄と気球くらい違っている。そしてわたしもほかのみんなと同じように、日々の暮らしにまぎれもなく囚われ、地球のしがない表面になんとかへばりついて生きています。その重力から逃れることは、どんな力持ちにも、どんなお金持ちにもできない。

 ただわたしの場合、いったん布団に潜り込んで眠りについてしまうと、そこに起ち上がる「夢の世界」はすごくありありとして、現実と同じくらい、いや、しばしば(しばしばという言葉がなぜか好きです)それよりもっと現実感をそなえたものなのです。またそこで繰り広げられるのは、ほとんど予測もつかない目覚ましい出来事ばかりです。そしてその結果ときたま、どっちがどっちだったか見分けがつかなくなることがあります。つまり「あれ、これは現実の生活で経験したことなんだっけ、それとも夢で見たことだったんだっけ?」みたいに。あなたにはそんなことありませんか? 夢と現実との線引きができなくなってしまうような……。おそらくわたしの場合、まわりの人よりそういう傾向がずっと(メーターの針がほとんど振り切れちゃうほど)強いんじゃないかなと思うのです。なにかの加減で、たぶん生まれつき。

 そのことに気づいたのは、小学校にあがった頃からでした。学校の友だちと夢の話をしようとしても、ほとんど誰もそんな話に興味を示してはくれません。誰もわたしの見た夢の話になんて関心を持たなかったし、わたしのように夢のことを大事に考えている人は、ほかにいないみたいだった。そしてほかの人たちの見る──見たと話してくれる──夢はだいたいにおいて彩りや胸騒ぎを欠いた、今ひとつぱっとしないものだった。それがどうしてかはわからないのだけれど……。だからわたしもそのうちに、学校の友だちとは夢の話をしないようになりました。家族とも夢の話をすることはありません(正直に言えば家族とはほかのどんな話も、必要がないかぎりほとんどしないのだけど)。そしてその代わりに枕元に小さなノートと鉛筆を置いて眠るようになりました。それ以来長年にわたって、そのノートがわたしにとってのかけがえのない心の友だちになっています。どうでもいいことかもしれないけど、夢を書き記すのはちびた鉛筆がいちばんいいんです。長さ八センチに達しないようなやつ。そういうのを前の晩に何本か、ナイフで良い具合に尖らせておく。長い新品の鉛筆はまずだめ! どうしてかな? なぜ短い鉛筆じゃないと夢の話がうまく書けないのだろう? 考えてみれば不思議ですね。

 ノートがゆいいつの友だち、なんてまるで『アンネの日記』みたい。もちろんわたしは誰かのうちの隠し部屋に住んでいるわけじゃないし、まわりをナチの兵隊に取りかこまれてもいないけど。というか、少なくともまわりの人たちは袖にカギ十字の腕章をつけてはいないけれど、それでも。

 とにかく、それから例のエッセイ・コンクールみたいなのがあって、表彰式の会場であなたに出会ったのです。それはなんといっても、これまでの人生でわたしの身に起こったいちばんゴージャスな出来事のひとつでした。コンクールが、じゃなくて、あなたに会えたことがね! そしてあなたはわたしの夢の話に興味を持って、とても熱心に聞いてくれました。それはなにより素晴らしいことだった。だって、自分が話したいことを好きなだけ好きに話して、それにしっかり耳を傾けてくれる人がいるなんて、ほとんど生まれて初めてのことだったから。本当よ。

 ところで、わたしは「ほとんど」という言葉を使いすぎているかしら? なんとなくそんな気がします。わたしはときどき同じ言葉をひんぱんに──ひんぱんっていう漢字がどうしても覚えられない──使ってしまうことがあります。注意しなくては。本当は自分が書いたものを読み直して、文章をすいこう(これも漢字が書けない)しなくちゃいけないのだけど、自分の書いたものを読み直すと、なにもかもいやになって、びりびり破り捨てたくなります。ほんとに。

 そうそう、わたしが見た夢の話ですね。その話をしなくては。わたしはなにかを書き始めても、すぐになにか別の話に移ってしまって、なかなか本題に戻ることができない。それも弱点のひとつです。ところで「弱点」と「欠点」はどう違うんだろう? この場合は弱点でいいのかな? でも、これもまたどうでもいいようなことですね。ほとんど[ここにも鉛筆で下線]同じようなものだから。とにかく本題に戻りましょう。そう、ゆうべ見た夢の話ね。


 その夢の中でまず、わたしは裸なの。まるっきりの裸。一糸まとわず──という表現があるでしょう? かなり変なというか、極端すぎる表現だと前から思っていたんだけど、でも見回してみて、実際に糸一本身にまとってはいないの。そりゃ、背中の見えないところに糸くずの一本くらいはついていたかもしれないけど、そのへんはまあどっちでもいいことよね。そしてわたしは細長いバスタブに入っている。白い西洋風のクラシックなバスタブ。キュートな猫脚がついていそうなやつ。でもそのバスタブにお湯は入っていない。つまり空っぽのバスタブに裸で横になっているわけ。

 でもね、それはよく見るとわたしの身体じゃないの。わたしのにしては、その二つの乳房はちょっと大きすぎる。わたしはもっと乳房が大きいといいなとか、ふだんからぶつぶつ思っていたんだけど、実際にそれくらいの大きさの乳房があると、どうも不自然で落ち着かなかった。なんだか妙な気分なわけ。自分が自分じゃないみたいな。だいいち重いし、下がよく見えないし。乳首もちょっと大きすぎるような気がする。こんな大きな乳房がついていたら、走るときなんかにふらふら揺れて邪魔になるだろうなとか思うわけ。じゃあ、前の小さいときの方が良かったかもね、みたいな。

 それからわたしは自分のお腹がふくらんでいることに気がつく。でも肥満してふくらんでいるわけじゃない。だって身体の他の部分はみんなほっそりしているから。お腹だけが風船みたいにふくらんでいるの。わたしはそこで、自分が妊娠しているらしいことに気がつく。わたしのお腹のなかには赤ん坊が入っているのよ。そのふくらみ具合からいうと、七ヶ月か八ヶ月くらいかな。

 そこでわたしがまずなにを考えたと思う?

 わたしがまず考えたのは、着るもののことだった。こんなに胸が大きくなって、お腹もふくらんでしまって、いったいなにを着ればいいんだろう、わたしが着られる服はどこかにあるんだろうかってことだった。だってわたしはこうして真っ裸なんだし、なにかを身にまとわなくてはならないわけでしょう。そう考えるとすごく不安になった。このまま裸で街を歩かなくちゃならないとしたら、どうしよう?

 わたしは鶴のように首を長くして、部屋中をぐるぐる見回したんだけど、衣類らしきものはどこにも見当たらなかった。バスローブもない。というか、一枚のタオルさえないのです。文字通り糸一本見つからないというか。

 そのときにノックの音が聞こえた。こんこん、と硬く短く二回。わたしはそれであわててしまった。こんなかっこうで誰かに会うわけにはいかないもの。いったいどうしたらいいのかと頭を混乱させているうちに、その誰かはドアを勝手に開けて、部屋の中に入ってきたのです。

 その部屋はね、浴室なんだけど、なにしろとんでもなくだだっ広いところなの。まるで普通のうちの居間くらいの大きさがあって、ソファみたいなものまで置いてある。天井もすごく高い。窓もたくさんあって、そこから太陽の光がさんさんと入ってきていた。光の加減からして、時刻はたぶん朝おそくだったと思います。

 その誰かが誰だったか? どんな人だったか、それは結局、最後までわかりませんでした。だって顔が見えなかったから。その人がドアを開けたとたんに、窓から差し込む太陽の光が急にさっと強くなり、ハレーションを起こしたようになって、わたしの目は何ひとつ見えなくなってしまった。ただ黒々とした大きな人影が、戸口のところにぬっと立っているのが見えただけ。でも身体の輪郭からして、それは男の人だったと思います。とても大柄なおとなの男の人。

 それでとにかく身体を隠さなくてはと思ったわけ。だってわたしは「一糸まとわぬ」状態にあったわけですから。そして知らない男の人がそこにいるわけだから。でも身を隠そうにも、さっきも言ったように手もとにはなにもありません。タオルも洗面器もブラシも、何ひとつない。しかたないから手で、お腹の下の大事な部分──といえばいいのかしら──を隠そうとするんだけど、どうやってもそこまで手がまわらないのです。というのは乳房とお腹が大きすぎて、しかもわたしの腕はいつもより確実に短くなっているから。

 でも男はゆっくりわたしの方に近づいてくる。なんとかしなくちゃ。そのときわたしのお腹の中で、赤ん坊が──たぶんそれは赤ん坊だと思うんだけど──ばたばたと激しく暴れ始めるの。まるで暗い穴の奥で、三匹の不満いっぱいのモグラが反乱を起こしたみたいに。

 ふと気がつくと、そこは浴室ではなくなっている。さっき居間みたいに大きな浴室って言ったけど、それは今では本物の居間になって、わたしは裸でソファに寝転んでいます。そしてわたしの両の手のひらにはなぜかひとつずつ目がついている。手のひらの真ん中のところが目になっているのよ。ちゃんとまつげもついているし、まばたきもする。真っ黒な瞳の目。それがわたしをじっと見ているの。でも怖さは感じない。その両目には白い傷跡がついている。そして涙を流している。ひどく静かで悲しげな涙を。


 と、ここまで書いたところで(これからいよいよ話がとんでもない佳境に入っていって、そこにあなたもちらりと脇役的に顔を出すんだけど)、残念ながらもう出かけなくてはならなくなりました。用事があって、机の前から離れなくてはならない。というわけで、いったん手紙を書くのを中断して、ここまで書いたぶんを封筒に入れて切手を貼って、駅前のポストにとうかん(どんな字だっけ? そしてどうしてわたしは辞書というものをひかないのだろう?)します。夢の続きはこの次に書きます。楽しみにしていてね。それからもちろん、わたしにも手紙を書いて。とても読み切れないくらい長い手紙を書いて。お願い。



 結局ぼくがその夢の続きを聞かされることはなかった。次に送られてきた手紙にはまったく違うことが書かれていたから(夢の続きを書くと言ったことを、きっと忘れてしまったのだろう)。だからぼくは彼女のその夢の中で自分がどういった(助演的)役割を果たしたのか、知らないままに終わってしまった。おそらくは永遠に。

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