街とその不確かな壁

村上春樹



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 きみから届いた手紙を、封を切ることなく机のひきだしに入れ、半日そのままにしておく。一刻も早くそれを読みたい、言うまでもなく。しかしその手紙はすぐには読まない方がいい──そういう予感(あるいは危惧)のようなものがある。だから手紙を開封するまでにしばしの時間を置く。心を震わせながら。

 手紙を机の抽斗から取り出し、はさみを使って注意深く開封したのは、夜の十時を過ぎてからだ。封筒の中には薄手の便箋六枚分の手紙が入っている。万年筆で書かれた細かい字、インクはいつもと同じターコイズ・ブルー。ぼくは机の前でしばらく目を閉じ、呼吸をなんとか落ち着かせてから、便箋を広げて読み始める。


 こんにちは。お元気ですか? 季節が移っていきます。まわりの風景が前とは違って見えるようになり、空気の肌触りが変わっていきます。たぶんわたしも少しは変わっているのでしょうね。でもどこが変わっているのか、それは自分ではわかりません。自分では自分の姿が見えません。心をうまく鏡に映せるといいんだけど。

 長いあいだ手紙が書けませんでした。何度も書きかけたんだけど、そのたびにザセツしました。文章を数行書くと、そこで壁にどすんとぶつかってしまいます。ひとつの文章が次の文章にどうしてもつながらないのです。どの言葉もみんな、結びつきをきらってべつべつの方向に散っていってしまいます。そしてもう二度と戻ってはこない。

 それはわたしにとってほとんど初めての経験でした。というのはこれまで、ほかのいろんなことが全然うまくいかないときでも、文章だけはわたしをうまく助けてくれたからです。ひとつの文章が次の文章へとつながっていって、心の内側にあるものをそこで表現することができました(もちろんもちろん、ある程度まではということですが)。でもそれももうできないのだと思うと、ほんとうにがっかりしてしまいました。いいえ、がっかりしたなんてものじゃない。部屋のすべてのドアがぴたりと閉ざされて、外から頑丈な鍵をかけられてしまったみたいな絶望的な気持ちでした。深い無力感……海の底に沈められた重いナマリの箱。もう誰にもそれを開けることはできない。だってもし手紙が書けなくなったら、もうあなたにわたしの気持ちを伝えることもできなくなってしまいます。そんなの、呼吸ができないのと同じことです。

 もう一週間以上、誰ともひとことも口をきいていません。わたしが口にする(あるいはこれから口にしようとする)言葉はどれもわたしの意図とは異なったもので、何ひとつ意味をなさないように思えるからです。だからずっと沈黙を守っています。それは決して沈黙を目的とした沈黙ではありません。でもそんな本当ではない[そこに鉛筆で濃い下線がぐいと引かれていた]言葉を口にしたら、自分が粉々に砕けて、ちりあくたのかたまりになってしまいそうに思えるのです。

 今日はこうしてなんとか、万年筆を手に持って文章を書くことができます。なぜかはわからないけれど、まるで割れた厚い雲のすきまから、太陽の明るい光線がさっと差したみたいに、文章が書けちゃうのです。この今、とてもとても久しぶりに……。不思議ですね。これって奇跡の切れ端みたいなものかもしれない。だからその切れ端が捕まえられるあいだに、とにかく急いでこの手紙を書いてしまいますね。そう、時間との競争みたいなものです(沈没しかけた船の通信室から必死に最後の通信文を送っている、せっぱ詰まった電信技師の姿を思い描いてください)。

 そんなわけで文章はけっこうあらっぽくなるかもしれません。うまく意味が通じないところもあるかもしれない。でもとにかくいっきかせいに(漢字がわからない)頭にあることを書いてしまいます。この次にいつ手紙が書けるか、見当がつかないから。明日になれば(あるいはあと十分後には)またもや一行の文章も書けなくなっているかもしれない。すべての言葉がわたしの意図しているのとは違う方向に勝手にちらばっていってしまうかもしれない。角をひとつ曲がったら世界がもう消え失せているかもしれない。


 さて、わたしとはなにか?

 それがとても大きな問題になります。

 これは前にも言ったと思うけど、ここにいるわたしは、本物のわたしの身代わりに過ぎません。本物のわたしの影のような存在に過ぎません──というか、実際に「影」なのです。そして本体から離された影は、それほど長く生きることはできません。わたしはここまで生きながらえてきましたが、それはずいぶん珍しいことなのです。フツウではないことです。わたしは三歳のときに本体から離され、壁の外に追いやられ、かりそめの両親のもとで育てられてきました。亡くなった母親と、現在も生きている父親は、わたしのことを本当の娘だと思っていますが(思っていましたが)、それはもちろんまちがった幻想です。わたしは遠くの街から風に吹き寄せられてきた、誰かのただの影に過ぎないのです。彼らはそのことを知りません(知りませんでした)。そしてわたしのことを本当の自分の子供だと信じていました。そのように誰かに信じ込まされていたのです。つまり、記憶をそっくり作りかえられていたのです。だからわたしがそのことで(自分が誰かのただの影に過ぎないことで)どれくらいつらい思いをしてきたか、彼らには想像もつかないのです。

 じつを言えばわたしは、あなたにこうして出会うまで、自分がただの影であることを誰かに打ち明けたことはありませんでした。そんなこと誰にも理解できないだろうと思ったから。頭がおかしいと思われるだけだろうから。だからこうしてあなたに会えたことは、わたしにとってほんとうにとんでもなく特別なできごとだったのです。そんな奇跡みたいなことがじっさいにわたしの身に起こるなんて、考えもしなかったし、正直言ってこの今でもまだよく信じられません。でもそれは起こったのです。風のない朝、晴れた空からなにかきれいなものがひらひらと舞い降りてくるみたいに。


 ずいぶん長く学校にも行っていません。外に出ることが苦しいのです。何度か行こうと試みましたが、外に出て角をふたつ曲がることもできませんでした。ひとつめの角を曲がるのがひどく苦しかったし、ふたつめの角はどうやっても曲がれなかった。そのさきになにがあるのかわからなくて、それがとても怖かったから。いや違う、そうじゃないな……本当のことを言えば、そのさきになにがあるかがわかっているから、その角を曲がることができなかったのです。

 いずれにせよ、こんな状態ではとてもとてもあなたに会うことはできないし、こんな状態のわたしの姿をあなたに見せることもできません。わたしの生命力は(というか、生命力みたいなものは)しぼんだ風船の空気みたいにするすると外に抜け出ていきます。そして今のわたしにはその流出をくい止めることができません。わたしの手は二本しかないし、指は十本しかなくて、まったくの話、そんなものではとても間にあわないのです。こんなときどうすればいいのか、自分でもわかりません。さあ、どうすればいいのだろう?

 でもどうか信じてください。わたしが前に公園のベンチであなたに言ったのはすべてほんとうのことです。

 わたしはあなたのものです。もしあなたがそれを望むなら、わたしのすべてをあなたにあげたいと思う。そっくりそのまま。ただ今のところどうしてもそれができないだけです。わかってください。

 わたしはいろんなことにたくさん時間がかかる、とわたしはそのときに言いました。細かい表現は忘れちゃったけど、そんな風に言ったと記憶しています。あなたは覚えていますか? でも、わたしにはもう時間はそれほど残されていないかもしれません。だからぱたぱたと必死の思いでキーを叩いています。ぱたぱたぱたぱた……。でも通信文は最後まで送り切れないかもしれない。海水が今にもドアを破ってどっと入り込んでくるかもしれない。冷たくて意地悪くて塩からくて、どこまでも致命的な海水が。


 さよなら。

 もう一度元気を取り戻し、日の光が雲間からまたさっと差し込んでくれて、いつもの万年筆といつものインクを使って、あなたにこうやって長い手紙が書けるといいのだけど(ほんとうにそう思っています。心から。深い深い心の底から)。


  十二月**日

  ******[きみの名前]


 しかしどうやら日の光は差し込んでくれなかったようだ。なぜなら、それがきみから届いた最後の手紙になってしまったから。

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