街とその不確かな壁

村上春樹



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 冬が去り、春がやってきた。時はとどまっていても、季節は巡る。私たちの目にするものすべてが、現在の映し出す仮初めの幻影に過ぎないとしても、どれだけページを繰ってもページ番号が変わらないとしても、それでも日々は移りゆくのだ。

 地表のあちこちに堅くこわばっていた雪は次々に解け去り、川は雪解け水を集めて水かさを増した。葉を落とした木々は次々に緑の新芽を吹き、獣たちの毛は日一日と元の輝きを取り戻していった。ほどなく彼らは繁殖期を迎え、おすたちはその鋭い角でお互いを激しく傷つけ合うことだろう。少なからぬ血が流され、大地を黒く潤し、その血が多くの鮮やかな花を咲かせるのだ。

 鎧のように重いコートからようやく解放され、かわりにウールの上衣を着て図書館に通うようになった。誰かが長年着込んだらしいくたびれた上着だったが、サイズは不思議なほどぴったり私自身のものだった。

 春が巡ってきてくれたことを私は感謝した。長く続いた冬がやっと終わりを告げたのだ。それは異様なばかりに長い冬だった。もちろん時間を持たないこの街に暮らしていて、何が長くて何が短いかというのは測りがたいところだが、少なくとも私の個人的な感覚として、それはずいぶん長く続いた冬だった。それ以外の季節がこの街には存在しないのではないかという気がしてくるほどに。だから私としては、春が実際に巡ってきてくれたことに感謝の念を抱かないわけにはいかなかった。

 そしてその頃には私はもう、イエロー・サブマリンの少年と一体になったことにずいぶん馴染んでいたと思う。そこには違和感のようなものはなかった。私たちはひとつの密接な──少年の言葉を借りるなら「分け隔てのない」──存在として行動した。そこに不自然なところはない。図書館の少女にもおそらくその変化は気づかれなかったはずだ。

 夕刻になると、私たちは川沿いの道を歩いて図書館に向かった。そして私は書庫の机の上で、両手で古い夢を温めて殻から導き出し、少年はそれを熱心に、貪るように読み込んでいった。それは一体となった私たちがおこなう──お互いの存在を意識し合う──唯一の「分業」だったが、その共同作業はあくまで切れ目なく円滑であり、滞るところはなかった。

 私たちは今では一晩に六つから七つの古い夢を読破できるようになっていた。その目覚ましい作業の進捗ぶりは少女をいたく感心させ、喜ばせた。彼女はその報酬として──おそらくは報酬なのだろう──林檎の菓子を何度か作ってきてくれた。私たちはそれをおいしく食べた。


「『パパラギ』という本を読んだことはありますか?」

 イエロー・サブマリンの少年は私にそう切り出した。地下深くの小部屋で、私と彼はロウソクの炎を間にはさんで座っていた。

 私は言った。「若いころに読んだよ。かなり以前のことなので、細かいことは思い出せないけれど、たしかサモアのどこかの島の酋長が二十世紀初頭に、ヨーロッパを旅行した体験を故郷の人たちに向けて語るという内容だったと記憶している」

「そのとおりです。ただしこれは今日では、ドイツ人の著者が、酋長の語りという形式を借りてつくりあげた、純粋なフィクションだと判明しています。いわゆる偽書です。しかしこの本が多くの人々によって手に取られ、読まれた時代には、本物の手記だと思われていました。無理もありません。よくできた、そしてユーモアと叡智に満ちた近代文明への批評になっていますから」

「ぼくもてっきり本物だと思っていたな」と私は言った。

「本物でも偽物でも、そのへんはもうどちらでもいいことです。事実と真実とはまたべつのものです。でもそれはそれとして、この本の中にはの木の話が数多く出てきます。この酋長の住む島では、椰子の木がその島の人々の生活の中で大きな意味を持っていて、なにかというと椰子の木に喩えた話になるのです。身近でわかりやすいから。

 その中にこんな記述があります。酋長は集まったみんなに向かって言います。『誰でも足を使って椰子の木に登るが、椰子の木よりも高く登った者は、まだ一人もいない』。これはおそらくヨーロッパ人が都市に高い建物を建設し、上へ上へと向かって伸びていくことを揶揄した発言です。『誰でも足を使って椰子の木に登るが、椰子の木よりも高く登った者は、まだ一人もいない』。とても具体的でわかりやすい表現です。誰が聞いてもわかる喩え話です。そしてまたがんちくに富んでいます。この酋長の話をまわりで聞いている聴衆は──もちろん実際に聴衆がそこにいたとすればですが──うんうんと肯いていたことでしょうね。どれほど木登りが巧みな人でも、椰子の木そのものより高く登ることはまずできませんから」

 私は黙って彼の話の続きを待っていた。まるで新たな知識を待ち受けるサモアの島の住人のように。

「しかし、酋長の話には逆らうようですが、ひとつこのように考えてみてはどうでしょう。つまり、椰子の木よりも高く椰子の木を登ってしまった人間は、まったくいないわけではないのだと。たとえばここにいるぼくとあなたは、まさにそのような人間ではないでしょうか」

 私はその光景を想像してみた。私はサモアのどこかの島に生えているいちばん高い椰子の木のてっぺん(それはだいたい五階建ての建物くらいの高さがありそうだ)まで登っている。そしてそこから更に高く登ろうとしている。しかしもちろん木はそこで終わっている。その先には青い南国の空があるだけだ。あるいは無が広がっているだけだ。空を見ることはできるが、無を目にすることはできない。無というのはあくまで概念に過ぎないから。

「つまり、ぼくらは樹木を離れて、虚空にいるということなのかな? 摑むべきものが存在しないところに」

 少年は小さく堅く肯いた。「そのとおりです。ぼくらはいうなれば虚空に浮遊しているのです。そこには摑むべきものはありません。しかしまだ落下してはいません。落下が開始するためには、時間の流れが必要となります。時間がそこで止まっていれば、ぼくらはいつまでも虚空に浮かんだままの状態を続けます」

「そしてこの街には時間は存在しない」

 少年は首を振った。「この街にも時間は存在しています。ただそれが意味を持たないだけです。結果的には同じことになりますが」

「つまりぼくらはこの街に留まっていれば、いつまでも虚空に浮かんでいることができる?」

「理論的にはそうなります」

 私は言った。「とはいえ、何かの拍子に再び時間が動き始めれば、ぼくらはその高みから落下することになる。そしてそれは致命的な落下となるかもしれない」

「おそらく」とイエロー・サブマリンの少年はあっさり言った。

「つまりぼくらはその存在を保つためには、街から離れることはできない。そういうことなのかな?」

「落下を防ぐ方法はおそらく見つからないでしょう」と少年は言った。「しかしそれを致命的でなくするための方法は、なくはありません」

「たとえばどんな?」

「信じることです」

「何を信じるんだろう?」

「誰かが地面であなたを受け止めてくれることをです。心の底からそれを信じることです。留保なく、まったく無条件で」

 私はその情景を頭に思い浮かべた。頑強な両腕を持つ誰かが椰子の木の下で待ち受けていて、私の落下をしっかり受け止めてくれる。でもそれが誰なのか、顔が見えない。おそらくどこにも存在しない架空の誰かなのだろう。私は少年に尋ねた。

「きみにはそういう人はいるのかな? きみを受け止めてくれる人が」

 少年は首をきっぱり横に振った。「いいえ、ぼくにはそういう人はいません。少なくとも生きている人たちのあいだには一人もいません。だからぼくはいつまでも、時間の止まったこの街に留まることでしょう」

 そう言うと、少年はまっすぐ堅く唇を結んだ。

 私は彼の言ったことについて考えてみた。その高みからの私の激しい落下をしっかり受け止めてくれる人は(もしいるとして)いったい誰なのだろう? 私が想像をむなしく巡らせている間にロウソクの火がふっと消えた。そして漆黒の闇があたりを包んだ。

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