イエロー・サブマリンの少年と差し向かいで、その椰子の木の話をしてからしばらくして、自分の中で何か微妙な変化が起こりつつあることに、私は気づかないわけにはいかなかった。私の身体にはうまく説明できない違和感のようなものが生じていた。喉の奥に堅く小さな空気の塊のようなものがあり、どうやってもそれを追いやることができなかった。何かを呑み込もうとするたびに、それは私に軽い苛立ちをもたらした。軽い耳鳴りのようなものもあった。その結果、これまでごく自然に円滑におこなわれていた日常の行為が、総じてどこかしらぎくしゃくしたものになった。
そのようなこれまでには見られなかった現象が、季節の移り変わりによってもたらされたものなのか、あるいは私がイエロー・サブマリンの少年と一体になったことに起因するものなのか、それとも他の何かの要因によってつくり出されたものなのか、判断がつかなかった。
その違和感を、いったいどう表現すればいいのだろう? あえて言うなら心が、自分の意思とはまったく異なった方向に勝手に進もうとしているような気がしてならないのだ。私の心は私の意思に反して、若い兎が初めて春の野原に出たときのように、説明のつかない、予測のできない野放図な躍動を欲しているようだった。そして私にはその気ままな本能的な動きを制御することができなかった。でもなぜそんな見知らぬ兎が自分の内部に突然登場してきたのか、それがいったい何を意味するのか、私には理解できなかった。そしてなぜ私の意思と私の心が、それほど相反する動きを取っているのかも。
その一方で私が送っている日々は、表面的にはどこまでも平穏で乱れのないものだった。
図書館に出向く前の午後の自由なひととき、私はイエロー・サブマリンの少年が外の世界で蓄積した膨大な量の書物を読んでいった。それは私ひとりのために提供された個人的な図書館だった。少年が私のために、彼の内なる図書館をそっくり開放してくれたのだ。
その高く長大な書棚には、古今東西のあらゆる種類の書物が見渡す限りに並べられていた。傷つけられた私の両眼はまだ完全には回復していなかったが、意識の内部に蓄積された書物を読み取るのに不自由を感じることはない。私は目ではなく、心を使ってそれらの本を読むことができたからだ。農業年鑑からホメロス、谷崎からイアン・フレミングに至るまで。書物というものが一冊も存在しないこの街にあって、形を持たない、したがって目には見えない本を、誰に咎められることもなく自由に読み続けられること、それは私にとって尽きせぬ喜びだった。
彼が自らの内なる図書館を私に開放し、私がそれらの本を読んでいるあいだ、どうやら少年自身は深い眠りに就いているらしかった。あるいは一時的に意識のスイッチを切っているみたいだった。いずれにせよ、そこにいるのは私ひとりだけであり、そこにあるのは私ひとりだけの時間だった。その午後の読書のひととき、「私たち」は「私」となった。
それでも私の中にいる春の野原の兎は、その活発な動きをいっときも止めなかった。その疲れを知らぬ生命力は休息をまったく必要としないようだった。ときとしてそれは私の読書への集中を乱暴に妨げ、私の神経を力強い後ろ脚で激しくかき乱した。そして夜ごとの私の眠りを落ち着かないものにした。
私の内側で何か普通ではないことが持ち上がっているらしかった。しかしその「普通ではないこと」がいったい何を意味するのかはわからなかった。私はただ途方に暮れるしかなかった。
私とイエロー・サブマリンの少年は、折に触れて私の意識の底にある真四角な小部屋で顔を合わせ、小さなロウソクの炎を間にはさんで、様々な事柄についてひっそりと語り合った。どこまでも暗く深い夜の時刻に。しかしそのような出会いの回数は次第に少なくなっていった。私たちの結合は時間の経過とともにごく当たり前の自然なものになり、あえて何かを言葉で語り合うような必要もなくなっていったからだろう。おそらく。
しかしその日、イエロー・サブマリンの少年はいつになく真剣な目で、まっすぐ私を見つめていた。彼の薄い唇は
私は少年に自分がここのところ抱いている違和感について相談していた。いったい私の身に何が持ち上がっているのだろう?
「どうやら、そのときが近づいてきたようですね」と少年はしばらく続いた深い沈黙を破って私に言った。
彼が何を言っているのか私には理解できなかった。
「そのとき?」
少年は両方の手のひらを広げて上に向けた。天井から正しい言葉が降ってくるのを待ち受けるみたいに。そして言った。「あなたがここを立ち去るときです」
「ぼくがここを立ち去る?」
「ええ、あなたもそのことは心に感じ取っているはずです」とイエロー・サブマリンのヨットパーカを着た小柄な少年は言った。
それは私の内側にいる活発な兎と関係したことなのだろうか?
「ええ、そうです。それはあなたの内側にいる兎が、あなたに身をもって告げていることです」と少年は私の心を読んで言った。
「ぼくがこの街から立ち去ることを?」
「ええ、そうです。あなたの心はこの街を立ち去ることを求めています。というか、ここを去ることを必要としています。少し前からぼくはそのことに薄々気がついていました。そしてその心の動静を注意して見守っていました」
私は少年の言ったことを自分なりに
「しかしぼく自身には、その動きの意味がまだ理解できていない。そういうことかな?」
少年は軽く首を傾げた。「はい。心と意識とはべつのところにあるものですから」
私は黙って少年の顔を見ていた。
「ぼくはこの街を立ち去ることになる?」と私は尋ねた。
少年は肯いた。「ええ、そうです。あなたはかつて、あなたの影を壁の外に逃がしてやった。そうですね? そして今度はあなた自身がぼくをあとに残して、この街から立ち去ることになります。そしてあなたはぼくから離れ、壁の外にいるあなたの影ともう一度ひとつになるのです」
頭を整理するための時間を私は必要とした。私は少年に質問した。
「しかしそんなことが可能なのだろうか? もう一度自分の影と一緒になるなんて」
「ええ、可能です。もしあなたが心からそれを望むなら」
「しかしぼくには知りようがないんだ。ぼくの影が今どこにいて、何をしているのかを。だいいち彼はぼくと別れて、外の世界で一人でうまく生き延びていくことができたのだろうか?」
小さなロウソクの炎を間にはさんで、少年は私に静かに告げた。「大丈夫です。心配はいりません。あなたの影は外の世界で無事に、しっかり生きています。そして立派にあなたの代わりを務めています」
私は言葉をしばらくのあいだ失い、少年の顔を黙ってじっと見ていた。それからやっと言った。「きみは外の世界で、ぼくの影に会ったことがあるの?」
「何度も」と少年は短く肯いて言った。
少年の発言は私を驚かせ、困惑させた。彼が外の世界で私の影に何度も会っていた?
「ええ、あなたの影はあちら側で元気に暮らしています」
私は言った。「そしてぼくはもう一度、その影と一体になることを求めている」
「そうです。あなたの心は新しい動きを求め、必要としているのです。でもあなたの意識はまだそのことをじゅうぶん把握してはいません。人の心というのは、そう簡単には捉えがたいものですから」
まるで春の野原の若い兎のように、と私は思った。
「ええ、そのとおりです」と少年は私の心を読んで言った。「春の野原の若い兎と同じように、それはゆっくりとした意識の手では捉えがたいのです」
「ここから逃れたぼくの影は外の世界で、ぼくの代役を問題なく務めている──きみはそう言ったね」
「ええ、そのとおりです。彼はあなたの代わりを
「だとしたら、ぼくらは既にそれぞれの役目を入れ替えてしまったのかもしれない。つまり今では彼がぼくの本体として活発に機能していて、ぼくがまるで彼の影のような、いわば従属的な存在になっている。そんな風にも思えてしまうんだ。どうだろう、本体と影とはそのように入れ替わり可能なものなのだろうか?」
少年はそれについてしばらく考えていた。そして言った。
「さあ、そこのところはぼくにもなんとも言えません。それはなんといっても、あなた自身の問題ですから。でもぼく自身についていえば、それはどちらでもいいことのように思えるのです。自分が自分の本体であれ、あるいは影であれ。どちらであったとしても、今こうしてここにあるぼくが、ぼくの捉えているぼくが、すなわちぼくなのです。それ以上のことはわかりません。あなたもまた同じように考えるべきかもしれない」
「どちらが本体であるか、影であるか、そんなことはたいした問題じゃないと?」
「ええ、そうです。影と本体はおそらく、ときとして入れ替わります。役目を交換したりもします。しかし本体であろうが、影であろうが、どちらにしてもあなたはあなたです。それに間違いはありません。どちらが本体で、どちらがその影というより、むしろそれぞれがそれぞれの大事な分身であると考えた方が正しいかもしれません」
私は長い間、何かを確かめるように自分の手の甲をじっと見つめていた。その肉体としての実質をあらためて確かめるように。それから正直に打ち明けた。
「ぼくは自信が持てないんだ。もう一度外の世界に復帰して、そこでうまくやっていけるかどうか。ぼくは長くこの街で暮らして、その生活にずいぶん慣れてしまったから」
「心配することはありません。自分の心の動きに素直に従っていけばいいのです。その動きを見失いさえしなければ、いろんなことはきっとうまくいきます。そしてあなたの大事な分身がきっとあなたの復帰を強く支えてくれるはずです」
本当にそうだろうか? ものごとはそんなに簡単なのだろうか? 私はやはりまだ確信を持つことができない。私は彼に尋ねた。
「それで、もしぼくがこの街から出て行けば、きみだけがあとに残るんだね?」
「ええ、そうです。ぼくはこの街に残ることになります。あなたがここからいなくなっても、ぼくは〈夢読み〉の役を果たしていけると思います。いつかここから出て行かれるであろうことを覚悟して、少しずつそれに備えていました。殻の中の古い夢たちも今では、ぼくにある程度心をゆるしてくれるようになりました。ぼくは共感というものを少しずつ学んでいます。それはぼくにとって簡単なことではありませんが、ほんの少しずつでも進歩を遂げてはいます。ぼくは多くのことをあなたから学び取りました」
「そしてきみはぼくの後継者になる」
「はい、ぼくは〈夢読み〉としてあなたのあとを継承することになります。どうかぼくのことは心配しないでください。前にも言ったように、古い夢を読み続けることが、ぼくに与えられた天職なのです。ぼくはここ以外の世界では、うまく生きていくことができません。それはなにより動かしがたい事実です」
少年の声は確信に満ちていた。
「しかしある日突然〈夢読み〉がぼくからきみに代わって、街はそれをすんなり受け入れてくれるだろうか? だって、きみはこの街に滞在する資格を与えられていないのだから」
「いいえ、心配はいりません。ぼくがこの街を必要としているように、街もまたぼくを必要とするようになっています。〈夢読み〉の存在なしにこの街は成り立たないからです。彼らがぼくを追放するようなことはあり得ません。街は、そしてその壁は、ぼくに合わせて微妙に形を変化させていくことでしょう」
「きみにはその確信がある?」
少年はきっぱりと肯いた。
私は言った。「しかし、もし仮にぼくがここを立ち去ることを望んだとして、具体的にどのようにすればそれが可能になるのだろう? この高い壁に厳重に囲まれた街から出て行くことは、決して簡単じゃないはずだ」
「そう心に望みさえすればいいのです」と少年は静かな声で私に告げた。「この部屋のこの短いロウソクが消える前にそう心に望み、そのまま一息で炎を吹き消せばいいのです。力強いひと吹きで。そうすれば次の瞬間、あなたはもう外の世界に移っています。簡単なことです。あなたの心は空を飛ぶ鳥と同じです。高い壁もあなたの心の羽ばたきを妨げることはできません。前のときのように、わざわざあの溜まりまで行って、そこに身を投じるような必要もありません。そしてあなたの分身が、そのあなたの勇気ある落下を、外の世界でしっかり受け止めてくれることを、心の底から信じればいいのです」
私は静かに首を振った。そして何度か大きく呼吸をした。いったい何をどう言えばいいのだろう? 言葉は浮かんでこなかった。私は自分が今置かれている状況を、まだ十分呑み込むことができなかった。
私の意識と私の心との間には深い溝があった。私の心はあるときには春の野原に出た若い兎であり、またあるときには自由に空を飛びゆく鳥になる。でも私にはまだ自分の心を制御することができない。そう、心とは捉えがたいものであり、捉えがたいものが心なのだ。
「考えるための時間が少し必要だと思う」、私はようやくそう口にした。
「もちろんです。考えてください」と少年は私の目をじっとのぞき込みながら言った。「よくよく考えてください。ご存じのように、ここには考える時間はたくさんあります。逆説的な言い方になりますが、時間が存在しないぶん、時間は無限にあるのです」
そしてそこでロウソクの炎はふらりと揺らいで消え、深い暗闇が降りた。