街とその不確かな壁

村上春樹



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 ひとりの少女が、あなたの人生から跡形もなく姿を消す。あなたはそのとき十七歳、健康な男子だ。そして彼女はあなたが口づけした最初の相手だ。あなたが誰よりも心惹かれた、美しい素敵な女の子だ。彼女もあなたのことがとても好きだと言った。そのときがくれば、あなたのものになりたいと言ってくれた。そんな相手が予告もなく、別れの言葉もなく、説明らしい説明もなく、あなたのもとから立ち去ってしまう。あなたの立っている地表から消え失せる。文字通り煙のように。

 彼女の身に何が起こったのだろう?

 何か差し迫った事情があってよその街に引っ越してしまったのか(でもいくらなんでも連絡くらいできるはずだ)、道を歩いているとき空から何かが落ちてきて、頭にあたって記憶をなくしてしまったのか、あるいはもう生きてはいないのか(交通事故、通り魔による殺害、急速に進行する奇病、ひょっとして自殺?)、誰かに捕まってどこかに監禁されているのか(誰が、何の目的で?)、それとも彼女はあなたのことが突然好きでなくなったのだろうか? あなたの顔を見るのも、その名前を耳にするのも嫌になってしまったのだろうか(あなたは彼女に向かって何か不適切なことを言ったり、められない行為を働いたりはしなかったか?)、どこかの街角に小型のブラックホールみたいなものが人知れず口を開けていて、通りがかりにそこに吸い込まれてしまったのだろうか──木の葉が排水口に吸い込まれるみたいに。それとも、あるいは……そう、この世界ではありとあらゆる可能性が密かに人を待ち受けている。すべての曲がり角には思いもよらぬ危険が潜んでいる。しかし彼女の身に実際に何が起こったのか、あなたはそれを知るすべを持たない。

 愛する相手にそのように、理不尽なまでに唐突に去られるのがどれほど切ないことか、それがいかに激しくあなたの心を痛めつけ、深く切り裂くか、あなたの内部でどれだけ血が流されるか、想像できるだろうか?

 何よりこたえるのは、自分が世界全体から見捨てられたように感じられることだ。自分がひと切れの価値も持たない人間に見えてしまうことだ。自分が無意味な紙くずになったように、あるいは透明人間になったように思えてしまうことだ。手のひらを広げてじっと見つめていると、向こう側がだんだん透けて見えてくるのだ──噓じゃなく、本当に。

 あなたは筋の通った、納得できる説明を求めている。何よりも必要としている。しかし誰もあなたにそれを与えてはくれない。誰もあなたに進むべき方向を教えてはくれない。誰もあなたを慰めたり励ましたりしてはくれない(そんなことをされたところで、何の役にも立たないにしてもだ)。あなたは荒ぶれた土地に一人置き去りにされている。見渡す限り草木一本生えてはいない。そこでは常に強風が一方向に吹き抜けている──肌を刺す微小な針をはらんだ風だ。あなたは温かみを持つ世界から容赦なく排除され、孤立している。行き場のない想いを鉛の塊として胸にかかえたまま。

 彼女から何らかの連絡があるはずだ。そう思って、あなたは我慢強く待ち続ける。というか、待つ以外にできることはない。しかしどれだけ待っても連絡はない。電話のベルは鳴らず、郵便受けに分厚い封筒が入ることもない。ドアにノックの音はない。そこにあるのはただ沈黙、そして無だ。そのようにして「沈黙」と「無」があなたの身近な友人になっていく。できれば、あまり友人にはしたくないものたちだ。でもそれ以外にあなたのそばに付き添ってくれる相手は見当たらない。もちろんあなたは一縷の希望を抱き続ける。でも重い鈍器にも似た沈黙と無の前では、希望は影の薄い存在だ。


 そのようにぼくは十八歳の誕生日を迎え、最後の手紙が届いてから更に一年が経過する。時間は重々しく、しかし同時にてきぱきと経過していく。里程標がひとつ前方に現れ、やがて後方に過ぎていく。そしてまたひとつ。

 自分という人間のありようが、ぼくにはどうしても理解できない。どうしてぼくはここにいて、こんなことをしているのだろう? どうしてここではいつもこんなに強く風が吹いているのだろう? 自分に向かって何度もそう問いかける。

 むろん返事はない。

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