街とその不確かな壁

村上春樹



39



 子易さんに訊かなくてはならないことがいくつもあったし、私が子易さんに語らなくてはならないこともいくつもあった。生者である私が知っておくべきこと、そして死者である子易さんに知っておいてもらいたいこと。しかしその前に私は、いろんなものごとを頭の中でうまく整理しておかなくてはならなかった。

 子易さんが人の姿かたちをとって私の前に出現していられる時間は──彼自身の説明によるなら──それほど長いものではない。そして子易さんは、いつでも自分が望むときにその姿を現すことができるわけではない。そのような限られた時間内に、私たちは数多くの重要な事柄を語り合わなくてはならないのだ。論理的に意味づけすることがおそらくは困難な、そしておおむね観念的な領域に属するであろう多くの事柄を。だから前もってある程度考えを整理し、話の段取りをつけておく必要がある。そうしなければ私は謎に満ちた薄闇の世界を、手がかりを求めつついつまでも空しく彷徨っていることになりかねない。


 翌日、午後の一時過ぎに私は添田さんを二階の館長室に呼んだ。少しばかり話があるからと言って。

 私と添田さんは図書館の運営に必要な事務的な事柄について、一階のカウンターで毎日のように話し合っていたが、考えてみれば、二人きりで向かい合って会話をするような機会はほとんどなかった。添田さんがそんな機会を持つことを意識的に回避していたわけではないのだろうが、積極的に求めていなかったことも確かだった。それはあるいは(今にして思えばということだが)子易さんのことが二人の会話の中で話題にのぼることを避けるためであったかもしれない。

 添田さんは淡い緑色の薄手のカーディガンに、装飾のほとんどない白いブラウス、青みがかったグレーのウールのスカートという格好だった。靴は焦げ茶色のバックスキンのローヒール。とくに高価な服装ではないのだろうが、かといって安物ではないし、古びてもくたびれてもいない。どれも手入れが良く、なにより清潔そうで、ブラウスは丁寧にアイロンをかけられしわひとつよっていなかった。化粧は常にうっすらとした目立たないものだったが、二本の眉毛だけはまるで意志の強さを示すかのように、くっきりと強く濃く引かれていた。すべての見かけが、彼女が経験を積んだ有能な図書館司書であることを示唆していた。

 私はデスクに向かって座り、彼女はデスクを間にはさんで向かい側に座った。彼女の顔は心なしか、微かな緊張の色を浮かべているようだった。淡い上品なピンクに塗られた唇は、よこいちもんに結ばれていた。必要なこと以外は何ひとつしゃべるまいと心を決めているかのように。

 窓の外では細かい雨が音もなく降り続き、部屋は湿気を含んで冷ややかだった。小さなガスストーブがひとつあるだけだから、部屋全体はなかなか温まらない。雨は朝から同じ調子で休みなく降り続いていたが、空気の冷え込み具合からして、いつ雪に変わってもおかしくなさそうだった。部屋は薄暗く、天井の照明はその薄暗さをかえって強調しているかのようだ。午後一時なのにまるで夕方のように思える。


「実は、子易さんのことについて少しお話がしたいんです」、私は前置きなしでまっすぐ本題に入った。添田さんには余計な回り道は抜きにして、率直に話をした方がいいだろうと思ったからだ。添田さんは表情を変えることなく小さく肯いた。唇はきっかり結ばれたままだった。

「子易さんはもう亡くなっていたのですね」、私は思い切ってそう切り出した。

 添田さんはしばらく沈黙を守っていたが、やがて諦めたように小さく息を吐き、重い口を開いた。

「はい。おっしゃる通りです。子易さんはしばらく前に亡くなっておられます」

「でも亡くなってからも生前の姿をとって、しばしばこの図書館に姿を見せる。そうですね?」

「ええ、そのとおりです」と添田さんは言った。そして膝の上に置いていた手を上げて眼鏡の位置を整えた。「しかしその姿は誰にも見えるというわけではありません」

「あなたには彼の姿が見える」と私は言った。「そしてこの私にも見える」

「はい、そうです。私の知る限りではということですが、ここで死後の子易さんの姿を目にし、言葉を交わすことができるのは、今のところあなたと私だけのようです。他の職員たちには何も見えませんし、声も聞こえません」

 添田さんは長いあいだ一人で心に抱えてきた秘密を、ようやく誰かと共有することができて、少しほっとしているようにも見えた。それはおそらく彼女にとって少なからぬ重荷であったはずだ。自分の頭がどうかしているのではないかと疑ったこともあっただろう。

 私は言った。「実のところ昨日の夜まで、彼が既に亡くなっていたことを知りませんでした。この図書館に着任して以来、子易さんのことを実際に生きている人だとずっと思い込んでいたのです。誰もそんなことを教えてはくれなかったものですから。昨夜ご本人の口から事情を聞かされて、当たり前のことですが、ずいぶん驚きました」

「驚かれて当然です」と添田さんは言った。「でも申し訳ないのですが、子易さんがもうこの世の人ではないことを、私の口からあなたにお教えすることはできなかったのです」


 私は添田さんに、昨日起こったことを一通り簡単に説明した。夜の十時頃に子易さんから突然うちに電話がかかってきて、この図書館に呼び出されたこと。そして図書館の奥にある半地下の小部屋で、その温かいストーブの前で、熱く香ばしい紅茶を飲みながら(それは子易さんが自ら湯を沸かして淹れてくれたものだ)、自分は実はもう死んでしまった人間なのだと、本人の口から直接打ち明けられたこと。

 添田さんは終始黙して私の話に耳を傾けていた。彼女の率直な一対の目は、眼鏡のレンズの奥からまっすぐ私の顔を見据えていた。私の話の裏に潜んでいるかもしれない何かを──もしそういうものがあるなら──読み取ろうとするかのように。

「子易さんはきっと、あなたのことが個人的に気に入っていらっしゃるのだと思います」、私が語り終えたとき、彼女は静かな声でそう言った。「そしてまた、あなたのことが、あるいはあなたが心に抱えている何かしらが、気にかかっておられるのだと」

 私が心に抱えている何かしら、と私は自分の心に向かって反復した。

「私が着任してくるまではあなたの知る限り、添田さん一人にしか死後の子易さんの姿は見えなかった。そういうことですね?」

「はい、ここで彼の姿を目にできるのは、おそらく私一人だけだったと思います。子易さんは図書館に姿を見せると、この私だけに話しかけてきました。生きていらしたときと同じように。でも当然ながら他の職員たちの前で、目に見えない人間と会話するわけには参りませんので、いつも二人きりになったところで話をしました。話すことといえば、主に図書館運営に関する事務的な事柄ですが」

 添田さんはそこで口をつぐんで気持ちを整理し、何かを深く考えていた。そして言った。

「子易さんはきっと、この図書館の運営のことが心残りだったのでしょうね。この図書館はいちおう〈町営〉という形を残してはおりますが、実際には文字通り彼の私有物のようなものでしたから。この図書館に関する様々なものごとはほとんどすべて、子易さんが一人で取り仕切っておられたのです。その子易さんが去年思いもよらず急死されたあと、後任の館長が決まらないまま、私がその代理のような役割を当座のあいだ務めておりました。しかし言うまでもないことですが、私だけではどうしても手がまわりかねます。私はただの現場の司書に過ぎませんから、日常の業務についてはともかく、図書館の全体的な運営に関しては、事情のわからないこと、的確な判断を下せないことが多々あります。それを見かねて、子易さんは亡くなった後、ここにたびたび戻ってこられたのだと思います。私に援助の手を差し伸べるために」

「子易さんが亡くなったあと、あなたが彼の──つまり、なんというか、幽霊となった子易さんの──助言を得て、この図書館を切り盛りしていた?」

 添田さんは黙って肯いた。

 私は言った。「そしてそのような館長不在の期間を経て、私が子易さんの後任者としてこの図書館の館長に就任することになった。そういうわけですね?」

 添田さんはもう一度肯いた。そして言った。

「はい、子易さんが夏に、この部屋であなたを直接面接なさったときには、正直言って驚いたものです。いいえ、驚いたというよりはわけがわからず、頭が少し混乱してしまいました。なにしろ初対面のときから、その姿をあなたの前にはっきりと現されたわけですから。どこまでも用心深く、私以外の人の前には決して姿を現さないようにしておられた子易さんがです。いったい何ごとが起こったのだろうと首を捻ってしまいました。しかしその様子を見ていて、私にはその理由や根拠はよくわかりませんが、あなたという人の中にはきっと、子易さんが心を許せるものがあるのだろうと推察いたしました……この人の前でなら姿を見せてもいいと彼に思わせるような、何かが」

 私は何も言わず、ただ耳を傾けていた。添田さんは続けた。

「そしてあなたと子易さんはここで長い時間、親しくお話をされ、その結果あなたがこの図書館の新しい館長に就任され、図書館は以前のように円滑に運営されるようになりました。私は肩から重い荷物を下ろすことができて、ずいぶんほっとしたものです。そしてあなたと子易さんは人目にはつかないところで、良好な関係を築いておられるように見えました。それは私にとって何より喜ばしいことでした。

 しかし子易さんはもう亡くなった人なのだと、私の口からあなたに教えることはできません。それはなんと言いますか、いかにも差し出がましいことに思えたのです。もし子易さんがそのことを──自分が生きた人間ではないことを──あなたに知らせたければ、自らおっしゃるはずです。おっしゃらないということは、まだその時ではないということなのでしょう。ですから私は沈黙して、ことの進展をそばから見守ってきました。つまり私は大事な事実を、私一人の胸のうちに隠したまま、この何ヶ月かを過ごしてきたわけです。私はあなたにお教えするべきだったのでしょうか? つまり、子易さんは生きている実在の人間ではなく、なんと言えばいいのでしょう……魂というか、亡霊のような存在なのだという事実を」

 私は言った。「いいえ、たぶんあなたの言うとおり、子易さんはご自分の口からその事実を打ち明けたかったのだと思います。その適切な時機を見計らっておられたのでしょう。ですからあなたがそうして口を閉ざしていたのは、決して間違っていなかったはずです」

 私たちはしばらくの間、それぞれに沈黙を守っていた。私は窓の外に目をやり、雨がまだ降り続いていることを確認した。今のところまだ雪には変わっていない。音を立てない静かな雨だ。大地に、庭石に、木の幹に無音のうちに浸み込んでいく。そして川の流れに加わっていく。

 私は添田さんに尋ねた。「子易さんはどういう人だったのですか? この町で生まれたという話は聞きましたが、どのような環境で育ち、若い頃はどのような人生を送られ、そしてどのような経緯でこの個人的な図書館をつくられたのでしょう? 考えてみれば、彼という人間についてほとんど何も知らないようなものです。ご本人に直接何度か質問してはみたのですが、いつも答えをはぐらかされているような具合でした。自らに関しては多くを語りたくないという風でした。だからそのうちに、個人的な事柄については質問しないようになってしまったのですが」

 添田さんは脚をきちんと揃え、スカートの膝の上で手を合わせていた。ほっそりとした十本の指が、まるで編みかけの毛糸のように繊細に絡み合っていた。

「実を申しますと、私もまた子易さんという人についてそれほど多くの知識を持たないのです。この図書館でかれこれ十年近く働いてきましたが、子易さんとそういう個人的な事柄についてお話をしたことはほとんどありませんでした。なんだか妙な話ですが、私が子易さんという方の人柄をより密接に身近に知るようになったのは、むしろ亡くなってからなのです。生きておられるうちは、なんと言えばいいのでしょう、いつも気持ちはどこかよその場所にあるような、超然とした雰囲気を身辺に漂わせておられました。決して冷たいとか偉そうとか、そういうのではなく、私たちには優しく親切に接して下さるのですが、まわりの現実の事柄にもうひとつ関心が向かないというか、微妙に距離をとって人に接しておられたような気がします。

 でも亡くなられてからは、つまり魂だけになられてからは、まっすぐ私の目を見て、気持ちを込めてお話をなさるようになりました。その人柄もこれまでになく生き生きした、人情味のあるものになってきたようでした。亡くなってからの方が人間的に生き生きしているというと、なんだか妙な言い方になりますが、それまで内側に大事に隠されていたものが、亡くなられたことによって、外に現れてきたのでしょう」

「生きている子易さんの心を覆っていた堅い殻みたいなものが取り去られた」

「はい、実にそのような感じでした」と添田さんは言った。「ちょうど春になって積もっていた雪が解け、その下からいろんなものが次第にもとの姿を現してくるみたいに……。私は結婚するまでずっと長野県松本市に在住しておりまして、この土地のことは何ひとつ知りませんでした。また夫は福島県の出身ですが、郡山市内で生まれ育ったものですから、この土地には地縁がありません。たまたまこの町の学校に職を得て移ってきたというだけです。そんなわけで、私が子易さんについて得た知識のほとんどは又聞きによるものです。まわりの人たちが私に少しずつ教えてくれたことです。中には単なる噂話のようなものもあり、どこまでが実際にあったことなのか、判断のつきかねるところもあります。しかしもしその程度のことでよろしければ、子易さん個人について私が知識として持っていることを、お話しすることはできます」


 添田さんの話によれば、子易さんはこの町有数のほうの長男として生まれた。年の離れた妹が一人いる。一家は代々造り酒屋を営み、商売は繁盛していた。地元の高校を卒業し、東京の私立大学に進んだ。大学では経済学を専攻したが、学業にはあまり熱心ではなかったらしく、何年か留年した。本当は文学を専攻したかったのだが、家業を継がせたがった父親が頑としてそれを認めず、心ならずも経営の勉強をさせられたせいだった。だから大学在学中は勉強そっちのけで、友人たちとグループを組んで起ち上げた同人誌の活動に没頭し、短編小説もいくつか書いて、そのうちの一編は大手の文芸誌にも転載された。しかし小説家として自立するところまでは届かず、大学を卒業してからは、数年間を東京でぶらぶらと文士気取りで過ごしたものの、業を煮やした父親に引導を渡されて(つまり月々の仕送りを打ち切られて)、福島のこの小さな田舎町に戻って来ざるを得なかった。

 そして家業の造り酒屋を継ぐべく、父親の下で経営者としての修業を積んだわけだが、仕事一筋の父親とはどうしてもそりが合わず、また当然ながら酒造業の経営にも今ひとつ身が入らず、この田舎町での生活は彼にとってまったく満ち足りたものではなかった。空いた時間に読書をし、机に向かって原稿を書くことがただひとつの楽しみだった。

 素封家の一人息子だったから、縁談は数多く持ち込まれたが、彼は身を固めることを嫌って、長いあいだ独身を通した。世間体もあり、また父親の目もあり、生まれ故郷の町ではさすがに素行を慎んでいたが、噂によれば時折東京に出かけた折には、日頃の不満を解消するべくけっこう羽目を外したということだ。

 三十二歳になったとき、酒好きの父親が脳梗塞で倒れ、寝たきり状態になり、彼が実質的に経営を受け持つことになった。とはいえ、仕事の実務は古くから働いている忠実な番頭や従業員たちが引き受けてくれたから、ただ奥の部屋に腰を据えて適宜必要な指示を出し、帳簿を簡単に点検し、同業者の会合に顔を出したり、町の有力者と会食をするといった外交的な用件をこなしていれば、それで用は足りた。刺激の乏しい退屈な日々ではあるものの、うるさいことを言う父親はろくに口もきけない身体になってしまったし、経営は──彼がとくに熱心に働かなくても──安定した良好な状態を続けていた。まずは気楽な境遇と言えた。

 暇な時間には相変わらず好きな本を読み、机に向かって小説のようなものを書き綴ってはいたが、一時は激しい炎として彼の内部で燃え上がっていた創作への意欲は、三十歳を過ぎた頃から、次第に弱まっていったようだった。旅人が自分でも気づかぬうちに、大事な意味を持つ分水嶺を踏み越えてしまったみたいに。原稿用紙にまったくペンを滑らせない日々も、次第に数を増していった。

 小説……いったいそこで何を書けばいいのか、彼には今ではもうひとつ確信が持てなくなっていた。かつてはそんなことを思い悩む余裕もなく、岩の隙間から水が湧き出すみたいに、文章がすらすらと目の前に浮かんできたものだったが。彼がこうして山間の田舎町でぐずぐずくすぶっている間に、東京では数多くの重要な動きが日々活発に進行しており、自分がその最前線から遠く離れた後方に取り残されてしまったように感じられた。東京のかつての文学仲間たちとのやりとりも、歳月を経るに従って熱気を欠いた、間遠なものになっていった。

 そのような焦り混じりの心定まらぬ日々を、ほとんど義務的なまでに気怠くやり過ごしているとき──そのとき彼は既に三十五歳になっていたのだが──ふとした成り行きで十歳年下の美しい女性と知り合い、あっという間もなく恋に落ちた。それまでの人生で一度も経験したことのないほど激しい心の震えを彼は感じることになった。その震えは測りがたいほど深く強く、彼を根底から混乱させ動揺させた。自分がこれまで大事に守ってきた価値観が、突然何の意味も持たないただの空箱に成り果ててしまったみたいに感じられた。自分はいったいこれまで何のために生きてきたのだろう? ひょっとして地球が逆に回転し始めたのではあるまいかと、真剣に不安に駆られたほどだった。

 彼女は町に住む知人の姪であり、東京の人だった。山手線の内側で生まれ、ずっとそこで育った。ミッション系の女子大の仏文科を出ており、フランス語が流暢で、チュニジアだかアルジェリアだかの大使館で秘書の仕事をしていた。知的な女性で、頭の回転も速く、文学や音楽にも通じていた。そのような話題について、どれだけ長く話をしていても、興趣が尽きることはなかった。彼女と差し向かいで親しく話をしているうちに、自分の中でしばらく前から眠り込んでしまいそうになっていた知的な種類の好奇心が、再び熱気を取り戻してくるのが感じられた。それは彼にとっては何よりも喜ばしいことだった。

 夏期休暇を利用してこの町をしばらく訪れていた彼女を紹介され、何度か顔を合わせ、会話を交わして親しくなったあと、彼は機会をつくってたびたび東京に足を延ばし、彼女とデートをした(ちなみに当時の彼はスカートははいておらず、ごく当たり前のこざっぱりとした服装をしていた)。

 そうした数ヶ月の交際期間のあと、彼が勇を鼓して結婚を申し込んだとき、彼女は即答を避けた。「悪いけれど、考えるのに時間が少しほしいの」と言った。そしてそれから数週間にわたって、彼女は深く逡巡していた。

 彼のことはとても好きだったし、信頼できる人だと思った。一緒にいて楽しかったし、彼と結婚すること自体に異論はなかった(彼女はその少し前に、子易さんにとってはうまい具合にというべきなのだろう、それまで交際していた男性と破局を迎えたばかりだった)。しかし語学を生かしたやりがいのある専門職と、都会での一人暮らしの気楽さを捨て、酒造業者の妻として、また旧家の嫁として福島県山中の小さな町に収まるのは、彼女にとって明らかに気の進まないことだった。

 結局、何度かの話し合いの末、結婚はしても当分のあいだ彼女は現在の仕事を続け、週末と休暇の間だけこの町に通ってくる──あるいは子易さんが暇を見つけて東京に出て行く──という条件で二人の間に折り合いはついた。もちろん子易さんとしては納得のいく取り決めではなかったし、彼なりに熱心に説得はしたのだけれど、彼女の決心は固かったし、彼女を手放したくないという一心で、最終的にその条件を呑まないわけにはいかなかった。そして二人は彼の実家で、ほとんど形だけの簡素な結婚式を挙げた。式に呼ばれたのは少数の身近な親戚と知人だけで、披露宴も開かれず、町の多くの人は彼が結婚したことにも気づかないほどだった。

 子易さんとしては酒造会社の経営など一切放り出し、古くさく狭い町とはあっさり縁を切り、彼女と二人きり、東京で自由で気楽な結婚生活を送りたかったのだが(もし実際にそうできたら、どれほどそれは喜ばしいことだったろう)、いくらなんでも古くからの従業員たちや、寝たきりの父親や、彼ひとりに頼っている家族を放り出して、勝手に町を出て行くわけにはいかなかった。好むと好まざるとにかかわらず、彼には人としての責務があった。成り行き上押しつけられたこととはいえ、いったん引き受けた以上、簡単に放棄することはできない。

 また現実問題として、この年齢になって、手に職もなく、仕事のキャリアらしきものもなく、文芸作家として生活していくだけの才覚もなく(そんな才覚が自分にあるという確信はもう持てなくなっていた)、東京にふらりと出て行って、そこで何をすればいいのだろう?

 だから子易さんとしては、彼女の持ち出したその「通い婚」という提案を受け入れないわけにはいかなかった。仕方ない、結局のところ人生のほとんどすべては妥協の産物ではないか。そして彼はそのような不自由にして忙しい結婚生活を、五年近く続けることになった。

 彼女は金曜日の夜に、さもなければ土曜日の朝に、電車を乗り継いで町にやって来て、日曜日の夕方に東京に帰って行った。あるいは彼が東京に出て、そこで週末を過ごした。夏と冬の休暇にはまとまった日々を二人で共にすることができた。どこまでも守旧的な父親はもし元気であれば、そのような夫婦生活のあり方にさんざん文句を並べ立てたことだろうが、彼は(まあ、ありがたいことにというべきか)ほとんど口がきけない身体になっていた。母親は生まれつきおとなしい人で、事を荒立てないことを人生の第一義に考えていたし、妹は子易さんの新しい奥さんと年齢がほぼ同じで、話も合い気も合って、若い女性同士の親しい関係になっていた。だから子易さんはまわりの誰にも苦言をていされることもなく、その変則的にして慌ただしい結婚生活を五年近く、まずは順調に円滑に送り続けた。

 実際のところ子易さんは、世間から見れば通常とは言いがたいその生活様式を、彼なりに楽しんでもいた。たとえ週に一日か二日しか会えなかったとしても、彼女に会えるのは何より嬉しかったし、彼女と二人で過ごしている時間はこの上ない幸福感に包まれていた。というか、彼女に会える時間が限られていることによって、彼のその幸福感はより深く、広がりのあるものになっていたかもしれない。そして彼女と会えない日々は、週末に彼女と会えるときのことを夢想しながら、豊かでカラフルな期待感と共にやり過ごしていくことができた。

 子易さんは東京に向かうとき、電車を使うこともあれば、車を運転することもあった。実のところ彼は車の運転があまり得意ではなかったのだが、これから彼女に(妻に)会えるのだと思うと、ハンドルを握ることがまったく苦痛に感じられなかったし、その単独の長距離移動に疲労を覚えることもなかった。一キロ一キロ、自分が彼女の住む街に近づいているのだと思うと、それだけで胸が高鳴った。まるで青春が戻ってきたみたいだ。というか彼の場合、青春時代にだってこれほど深く無条件に誰かを愛した経験はなかったのだ。


 そのような変則的ではあるが、それなりに満ち足りた日々の連続が終わりを告げたのは、彼が四十歳の誕生日を迎えた少し後のことだった。彼女が妊娠したのだ。二人にはとりあえず子供をつくるつもりはなかったし、避妊には気を配っていたのだが、ある日出し抜けに彼女が妊娠していることが判明した。その予定外の状況にどのように対処するべきか、二人は顔をつきあわせ、あるいは電話で長く真剣に話し合った。そして最終的に、堕胎だけは避けたいという彼女の意志が尊重された。二人とも子供を持つことにはさして興味を覚えなかったが(彼らは二人だけでいることで十分満ち足りていた)、こうして小さな命が生まれたのだから、その流れを大事にしたいと思った。話し合いの結果、彼女は長年勤めていた北アフリカの大使館を退職し、彼の住む福島県の小さな町に落ち着くことになった。そしてそこで来たるべき出産を待つ。

 彼女が大使館の職を辞してもいいと思ったのには、これまで懇意にしてきた大使が、新政権の誕生にあわせて交代させられ、後任としてやって来た新しい大使ともうひとつそりが合わなかったという事情があった。それによって、仕事への熱意もかなり薄れてしまった。また東京と福島県との毎週の行き来に、さすがに疲労を覚えるようになってきた、ということもあった。とくに妊娠中の身でそんな移動を繰り返すのは、次第にむずかしくなっていくだろう。

 そしてまた彼と一緒に、ひとつ屋根の下で落ち着いた夫婦生活を送りたいという気持ちも、彼女の中で強くなっていた。彼の親族とも今のところ友好的な関係は築かれているようだし、いかにも保守的な狭い町ではあるけれど、おそらくそれほどの問題もなく平穏に暮らしていけるはずだ。もし何か不都合があったとしても、夫がしっかり自分を護ってくれることだろう。彼女は子易さんに対して、そういう信頼感を抱くことができるようになっていた。彼女の彼に対する思いは最初から最後まで、熱烈な愛というよりはむしろ総合的な人間評価に近いものだった。彼女が人生のパートナーに求めていたのは、燃え上がる情熱よりは浮き沈みの少ない安定した人間関係だった。

 子易さんも彼の家族親族も、彼女がその地に移って、妻として落ち着いてくれることを心から歓迎した。子易さんは実家から少し離れたところにこぢんまりとした新築の一軒家を用意し、そこで二人で生活することになった。これでようやく彼女と当たり前の夫婦になることができたと彼は実感し、ほっと一息つくことができた。「通い婚」の生活はそれなりに刺激的ではあったが、いつか彼女が自分から去っていくのではないかという不安は終始つきまとっていた。子易さんは自分の男性的魅力にそれほど自信が持てずにいたからだ。

 子易さんは日々大きくなっていく妻のお腹を見ながら、そして手のひらでそっと優しく撫でながら、自分たちの間に生まれる子供のことを想像し続けた。いったいどんな子供がこの世界に生まれ出てくるのだろう? そしてその子供はどんな人間に育っていくのだろう? どんな自我を持ち、どんな夢を抱くのだろう?

 子易さんは自分という存在の意味がうまく把握できなくなっていたが、そんなことはもうどうでもいいように思えた。自分は親からひとまとまりの情報を受け継ぎ、そこに自分なりに若干の変更加筆を施したものを、また自分の子供に伝達していく──結局のところ単なる一介の通過点に過ぎないのだ。延々と継続していく長い鎖の輪っかのひとつに過ぎないのだ。でもそれでいいではないか。たとえ自分がこの人生で意味あること、語るに足ることをなし得なかったとしても、それがどうしたというのだ? 自分はこうして何かしらの可能性──それがただの可能性に過ぎないとしても──を子供に申し送ることができるのだ。それだけでも自分が今まで生きたことの意味があるのではないか。

 そういう視点は、彼にとってまったく新しく芽生えたものであり、これまでは思いつきもしなかったことだった。でもそのように考えていくと、気持ちはずいぶん楽になった。迷いや鬱屈は消え、生まれてほとんど初めて彼は心の平穏を得ることができた。彼はそれまで胸に密かに抱いていたすべての野心を、あるいは夢想にも似た希望を棚上げし、地方小都市の中堅酒造会社の四代目経営者として、安定した日々を送るようになった。活発な動きや目新しい変化のようなものは、周りにほとんど見当たらなかったが、それについてとりたてて不満を感じることもなかった。自分が世の中の新しい流れから取り残されつつあるのではないかというあてのない焦燥感もいつの間にかどこかに消えてしまった。彼には確実な生活の基盤があり、帰るべき自分のささやかな家があり、愛する妻と、そのお腹の中で健康に成長しつつある胎児が彼を待っていた。

 ひとことで言い表すなら、彼は見晴らしの良い平らな台地にも似た、中年期という領域に足を踏み入れたのだ。


 彼は生まれてくる子供の名前を考えることに没頭した。世間をあっと言わせるような小説を書き上げたいというかつての情熱は、とりあえず彼の中から消えてしまったようだった。子供の名前を考えること──それが彼にとって何より重要な意味を持つ「創作行為」となった。妻はその作業を彼に喜んで一任した。私は元気な子供を産む、あなたはその子に素敵な名前をつける、そういう分業にしましょう──と彼女は言った。子供の名前を考えるのは、彼女が得意とする分野ではなかったのだ。

 数多くの文献に当たり、知恵を絞りに絞り、考えに考え、迷いに迷った末に、子易さんはようやく堅い岩盤にも似た確かな結論に達した。

 男の子なら「しん」にしよう。女の子なら「りん」にしよう。そう、山間の自然溢れる小さな町で生を受ける子供には、いかにもふさわしい名前ではないか。


 子 易 森

 子 易 林


 彼はその男女二つの名前を白い紙に墨でたいしょし、自室の壁に貼った。そして朝と晩、その字を見つめながら来たるべき子供の顔かたちを心に思い浮かべた。

 すごく良い名前だと思う、と妻もその案に承認を与えた。字の見た目の感じも好ましい。男女の双子が生まれたら素敵そうだけど、お腹の大きさからしてどうやらそれはちょっとないみたいね。それで、あなたはどちらがいいの? 男の子か、女の子か?

 どちらでも同じくらいいいさ、と子易さんは言った。とにかくこの世に無事に生まれて、その名前をころものように身にまとってくれさえするなら、男女どちらだってかまわない。

 それは子易さんの正直な気持ちだった。男の子でも女の子でも、どちらでもいい。その子供が自分の可能性を、可能性として引き継いでくれる存在であるなら。

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